鉄腕DASH の「各駅停車でどこまで行けるか!?」は2020年現在どこまで行けるか
「ザ!鉄腕!DASH!!」で1998年12月に日本列島24時間 各駅停車でどこまで行けるか!?(www.ntv.co.jp
)という企画がありました。
当時、千代田区の樽町駅に隣接していた日本テレビ本社を朝7時に出発し、各駅停車(正確には運賃以外に特別料金の掛からない交通機関)のみを使って翌朝7時がタイムリミット。長瀬智也、山口達也が関西・四国へ向かう西ルート、国分太一、宇梶剛士が東北を目指す北ルートに別れて距離と駅数を競うものです。
この企画の特徴は以下のようなものです。
- 鉄道以外にもバスやフェリーも使用可能。
- 始発〜終電ではなく、朝7時〜翌朝7時なので、深夜帯の移動の工夫が見せ所。
- 距離だけでなく駅数もカウントされる。通過駅もカウント対象なので、快速など速達列車に乗るのが最良。ただし、バスの場合は通過した停留所はカウントされない。
高速バスに乗るのはルール違反かと思いきや、番組内では西ルートで四国に渡る際、明石海峡大橋を渡る高速バスに乗っているので、鉄道が走っていないルートに限り例外的に認められると解釈できます[1]。
さて、放送から22年が経ち、当時とは交通機関の状況も大きく変わっています。実際に彼らが通ったルートだけ見ても、北ルートでは東武鉄道の快速列車が廃止され、西ルートでは当時24時間営業されていた宇高航路が日中も含め全廃されてしまいました。果たして2020年現在、当時と同じルートを辿ることができるのか、時刻表を眺めつつ机上旅行していみます。
- 以下、番組ロケのダイヤは放送内のテロップを元に「JTB時刻表」1998年11月号と照らし合わせて分かる範囲での定刻の時刻を記述しています。なお、西ルートのチームがラッシュに揉まれる描写があるので、ロケは平日に行われたものと判断し、平日ダイヤでの比較を行います。
西ルート(長瀬、達也チーム)
まず、西ルートの愛知県までの移動を見てみます。
四ツ谷駅(東京都) → 伊良湖岬(愛知県)
1998年当時の番組ロケでの移動
四ッ谷 7:20 →(中央快速線・東京行 201系)→ 東京 7:29
東京 7:39 →(東海道線・熱海行 113系)→ 熱海 9:31
熱海 9:39 →(東海道線・浜松行 211系)→ 掛川 11:37
掛川 11:40 →(天竜浜名湖鉄道・天竜二俣行 TH3000形)→ 天竜二俣 12:23
天竜二俣 12:35 →(天竜浜名湖鉄道・新所原行)→ 新所原 13:44
新所原 13:48 →(東海道線 113系)→ 豊橋 13:58
豊橋駅前 14:20 → (豊橋鉄道(バス)伊良湖本線・フラワーパーク行) → 伊良湖岬 15:50
駅数を稼ぐという理由から、掛川ー新所原間を天竜浜名湖鉄道で移動しています。ローカル線で本数が少ないにもかかわらず、掛川での接続が3分というタイミングの良さなのですが、熱海での乗り継ぎで車内にトイレのない211系に当たってしまったため、尿意を催した長瀬がわずかな乗り換えの間に駅のトイレに行くというちょっとしたハプニングもありました。
また、愛知県に入ると東海道線は地形上、進路を北へ向けてしまうため、まっすぐ西へ向かうことを優先して豊橋から先はバスで渥美半島を縦断します。
これが2020年ではこうなります。
2020年現在の移動
四ッ谷 7:19 →(中央快速線・東京行)→ 東京 7:29
東京 7:42 →(東海道線・熱海行)→ 熱海 9:31
熱海 9:37 →(東海道線・興津行)→ 興津 10:34
興津 10:43 →(東海道線・豊橋行)→ 掛川 11:48
掛川 11:57 →(天竜浜名湖鉄道・天竜二俣行)→ 天竜二俣 12:45
天竜二俣 12:48 →(天竜浜名湖鉄道・新所原行)→ 新所原 14:04
新所原 14:26 →(東海道線・豊橋行)→ 豊橋 14:36
新豊橋 14:45 →(豊橋鉄道渥美線・三河田原行)→ 三河田原 15:20
田原駅前 16:00 → (豊鉄バス伊良湖本線・伊良湖岬行) → 伊良湖岬 16:57
熱海まではほぼ変わらない時刻で行けますが、興津での乗り換えが発生することと、天竜浜名湖鉄道の接続の関係で豊橋到着が30分ほど遅くなります。
さらに、当時は豊橋駅前から伊良湖岬まで1本のバスで行けたのですが、2020年10月のダイヤ改正(www.toyotetsu.jp
)で系統が分割されてしまい、乗り継ぐにも30分ほどの乗り換え時間が発生するようになってしまいました。そのため、現在では途中の三河田原までは私鉄電車(渥美線)で移動し、そこからバスに乗る方が時間の節約になります。ただタイミングが悪く、三河田原で40分の待機時間が発生してしまうため、伊良湖岬への到着は1998年当時より1時間以上も遅くなってしまいます。
伊良湖岬(愛知県)→ 高松駅(香川県)
再び番組ロケの時間軸に戻りますが、渥美半島の突端である伊良湖岬からは船で伊勢湾を横断し、三重県へショートカットします。
1998年当時の番組ロケでの移動
伊良湖 16:00 →(名鉄海上観光船・高速船)→ 鳥羽 16:35
鳥羽 17:14 →(近鉄・快速急行 大阪上本町行)→ 鶴橋
鶴橋 →(大阪環状線・103系)→ 大阪
大阪 →(神戸線・221系)→ 舞子
高速舞子 20:55頃 →(山陽電気鉄道バス・徳島駅前行)→ 鳴門撫養 22:00頃
池谷 22:23 →(高徳線・引田行)→ 引田 22:58
引田 23:05 →(高徳線・高松行)→ 高松 0:12
鳥羽に上陸した後は近鉄線で大阪市内へ、さらにJR神戸線で西へ向かいますが、その車内で明石海峡大橋を渡る高速バスで四国に渡ることを決定します。高速バスを終点の徳島駅前まで乗ると、時間的にその先の移動手段がないため、途中の鳴門撫養バス停(現在は「高速鳴門」に改称)で降り、 JR で高松方面に向かうことに。
これは鉄道旅行に精通していないと思いつけるルートではないため、スタッフの入れ知恵があったのではないかと勘繰ってしまいますが、それよりも驚くべきことは、鳴門撫養バス停と池谷駅の間を徒歩でおよそ23分で移動していること。明石海峡大橋を渡るバスに乗ったことのある方はご存知でしょうが、鳴門撫養(高速鳴門)バス停は鳴門駅の近くにあるバス停。池谷駅とは 10km ほど離れており、いくら体力のある TOKIO のメンバーでも23分で移動するのは不可能です。道路上を走る様子が撮られてはいるものの、おそらくそれは演出上のもので、実際は大半の区間をタクシーかスタッフが乗る伴走車で移動したものと思われます。ちょっとこれはズルいですよね。
さて、現在はどうかというと……。
2020年現在の移動
伊良湖 17:40 →(伊勢湾フェリー)→ 鳥羽 18:35頃
鳥羽 19:05 →(近鉄鳥羽線・伊勢中川行)→ 宇治山田 19:19
宇治山田 19:41 →(近鉄・急行 大阪上本町行)→ 鶴橋 21:53
鶴橋 21:59 →(大阪環状線)→ 大阪 22:15
大阪 22:20 →(神戸線・新快速 網干行)→ 神戸 22:45
神戸 22:50 →(神戸線・西明石行)→ 舞子 23:09
長瀬と達也は伊良湖岬から高速船で鳥羽に移動していましたが、高速船はロケ直後(?)の1998年12月にそれまでの7往復から3.5往復に減便され、さらにその後に廃止されており、現在は伊勢湾フェリー(www.isewanferry.co.jp
)のみの運行となっています。こちらは通常のフェリーなので、所要時間増と乗り継ぎ時間の関係もあり、鳥羽到着時点で1998年当時との時間差は2時間に拡大しています。
さらに近鉄線の宇治山田駅で20分以上待たされることもあり、舞子駅の到着は 23:09。四国へ渡るバスの最終便は徳島バス 大阪線(www.tokubus.co.jp
)の 23:00 発なので、タッチの差で間に合いません。
今後のダイヤ改正で接続が改善されれば鳴門や徳島までは行けるかもしれませんが、いずれにしてもそこで詰みです。これでは比較にならないので、神戸と高松を結ぶフェリー(ferry.co.jp
)の夜行便を活用したルートを考えてみましょう。
2020年現在の移動(高松まで行けるルート)
伊良湖港 17:40 →(伊勢湾フェリー)→ 鳥羽港 18:35頃
鳥羽 19:05 →(近鉄鳥羽線・伊勢中川行)→ 宇治山田 19:19
宇治山田 19:41 →(近鉄・急行 大阪上本町行)→ 鶴橋 21:53
鶴橋 21:59 →(大阪環状線)→ 大阪 22:15
大阪 22:20 →(神戸線・新快速 網干行)→ 三ノ宮 22:42
神戸港 1:00 →(ジャンボフェリー)→ 高松港 5:15
高松港 5:20頃 →(送迎バス)→ JR高松駅前 5:30頃
フェリーだと途中停車駅がないので駅数を稼ぐことはできませんが、翌朝に高松駅に着くことは可能です。
高松駅(香川県)→ 川之江駅(愛媛県)
再び番組ロケの時間軸に戻り、終電後〜翌朝の移動を見てみます。
1998年当時の番組ロケでの移動
高松港 0:33 →(宇高国道フェリー)→ 宇野港 1:34
宇野港 2:42 →(宇高国道フェリー)→ 高松港 3:45
高松 4:38 →(予讃線・快速マリンライナー2号 岡山行)→ 坂出 4:59
坂出 5:25 →(予讃線・観音寺行 7000系)→ 観音寺 6:24
観音寺 6:27 →(予讃線 7000系)→ 川之江 6:52
最終列車で高松駅に着いた後、駅の外で長瀬が(わざとらしく)フェリー乗り場の看板を見つけ、終夜運航していた宇高国道フェリーで本州の宇野に渡ります。しかし、宇野駅より高松駅の方が始発列車が早いことが分かり、折り返し高松へ戻ることに。当時は宇高航路がまだ賑わっていて、3社が終夜運航をしていたからこそこんな芸当ができましたが、今となっては終夜どころか航路廃止になってしまい、寂しい限りです。
高松駅に戻った後は、始発列車で予讃線を西へ。6時台最後の停車駅である川之江駅で降り[2]、駅前商店街を抜けて海岸まで走り7時を迎えます。
一方、現在は予讃線の始発列車が多度津始発となった関係で、この4時台の列車では西へ乗り継ぐことができません。もっとも、前述のとおり夜行フェリーでは高松駅 5:30 頃着なので、どちらにしても4時台の列車に乗ることはできないのですが。
そのため、以下のどちらかとなるでしょう。
2020年現在の移動(経度的に少しでも西へ行くケース)
高松 5:42 →(予讃線・琴平行)→ 多度津 6:39 ( → 琴平 6:54 )
2020年現在の移動(距離と駅数を稼ぐケース)
高松 5:35 →(瀬戸大橋線・快速マリンライナー4号 岡山行)→ 岡山 6:28
岡山 6:37 →(伯備線・新見行)→ 倉敷 6:53
予讃線では多度津駅までしか行けません。距離的にはその先の琴平駅まで行くことができますが、多度津から先は土讃線に入り、進行方向が南東になってしまいます。
乗り継ぎ時間がギリギリなものの、瀬戸大橋を渡る快速マリンライナーの発車時刻(5:35 発)に間に合えば、岡山を越えて倉敷駅まで行くことができます。経度的には若干多度津駅の方が西側に位置するのですが、こちらの方が距離と駅数は大幅に優位になります。途中に「北長瀬」という駅があるので、ネタ的にも面白そうですね。
ということで、乗り継ぎの悪化、航路の廃止などによって1998年当時とまったく同じルートでは愛媛県まで辿り着くことはできませんが、長距離夜行フェリーを活用することで四国に渡り、同じくらいの距離を稼ぐことは可能です。
なお、単純に東海道線&山陽線をひたすら西へ移動するならば、当日中に山口県の柳井駅まで、さらに翌朝の始発列車で防府駅(6:57 着)まで行くことが可能です。
また、距離を伸ばすだけなら大阪からフェリーさんふらわあ・別府行き(www.ferry-sunflower.co.jp
)に乗ってしまえば、大分県の別府港に 6:55 に到着できます。本来の「各駅停車でどこまで行けるか」のテーマからは大きく外れていそうな気もしますが、ルール上問題ない範囲ではおそらくこれが最遠だと思います。
北ルート(国分、宇梶チーム)
続いて北ルートです。
市ヶ谷駅(東京都) → 会津若松駅(福島県)
1998年当時の番組ロケでの移動
市ヶ谷 7:16 →(中央緩行線・西船橋行 103系)→ 秋葉原
秋葉原 → (山手線・内回り)→ 上野
上野 7:52 →(地下鉄浅草線・浅草行)→ 浅草
浅草 8:10 →(東武線・快速 会津田島行 6050系)→ 会津田島 11:46
会津田島 11:49 →(会津鉄道・会津若松行)→ 会津若松 12:56
鉄道に詳しい方なら東北線か上越線を選択するところでしょうが、「JTB時刻表」の路線図の表記的に北へまっすぐ進んでいるという理由で東武鉄道に乗り、会津若松を目指すことになります。
1998年当時は特別料金不要の快速列車が浅草駅から野岩鉄道、会津鉄道に直通して会津田島駅まで運転されていましたが、2017年に廃止されたため、現在では複数回の乗り換えが必要です。
2020年現在の移動
市ヶ谷 7:17 →(中央緩行線・千葉行)→ 秋葉原 7:26
秋葉原 7:31 → (山手線・内回り)→ 上野 7:35
上野 7:43 →(地下鉄浅草線・浅草行)→ 浅草 7:49
浅草 8:11 →(東武伊勢崎線・区間準急 北春日部行)→ 曳舟 8:17
曳舟 8:20 →(東武伊勢崎線・急行 南栗橋行)→ 南栗橋 9:20
南栗橋 9:26 →(東武日光線・急行 東武日光行)→ 下今市 10:35
下今市 11:21 →(東武鬼怒川線・新藤原行)→ 新藤原 12:15
新藤原 12:27 →(野岩鉄道・会津田島行)→ 会津田島 13:20
会津田島 13:22 →(会津鉄道・会津若松行)→ 会津若松 14:37
浅草駅を8時に出発する場合、とくに下今市駅での46分もの乗り継ぎロスが発生します。また、一般的に「急行」は「快速」より速いものですが、東武鉄道の場合は事情が複雑で、当時の「快速」より現在の「急行」の方が停車駅が多く遅い列車となります。これらの理由が重なり、会津若松到着時点ですでに1時間30分以上遅くなってしまいました。
会津若松駅(福島県) → 岩館駅(青森県)
1998年当時の番組ロケでの移動
会津若松駅 13:12 →(会津バス)→ 喜多方駅 14:20頃
喜多方駅付近 →(蔵馬車)→ 喜多方営業所バス停付近
喜多方営業所 15:30頃 →(会津バス)→ 日中千石沢 16:05
ゆもとや →(送迎バス)→ 米沢駅 17:30頃
米沢 18:20 →(奥羽線・山形行 719系)→ 山形 19:14
山形 19:17 →(奥羽線・快速月山5号 酒田行 キハ58)→ 新庄 20:16
新庄 20:23 →(奥羽線・秋田行 701系)→ 秋田 23:04
秋田 23:41 →(奥羽線・八郎潟行 701系)→ 八郎潟 0:12
八郎潟駅 →(自転車)→ 能代駅 4:00頃
能代 5:56 →(五能線・岩館行 キハ40(?))→ 岩館 6:36
国分と宇梶は会津若松駅から喜多方に向かいますが、磐越西線で新潟に行くためではなく、より北へまっすぐ進むため、喜多方からバスを使って山形県に抜けるための移動となります。当時の「JTB時刻表」の路線図だと日中と飯豊山荘の距離が近いように見え[3]、そこを徒歩で連絡し、米坂線の小国駅に抜けるという作戦です。
いくら見た目的に近そうとはいえ、徒歩連絡を思いつくあたりが逆にすごいというか[4]、あるいはこれも番組を盛り上げるためのスタッフの入れ知恵だったのかもしれませんが、当然のことながら徒歩連絡など不可能な場所であり、二人は終点の日中千石沢バス停に降りて絶望を味わいます。
ところが渡りに船というか、近くの温泉旅館ゆもとや(www.aizu-yumotoya.com
)の送迎バスで米沢駅まで送って貰えることになります。そんなのアリかよ!
その後はひたすら奥羽線を乗り継ぎ、八郎潟駅へ。そんなところでは深夜の移動も不可能かと思いきや、少しでも距離を稼ぐため、始発列車まで雪道を自転車で進むことになります。そして翌早朝、能代駅から五能線に乗り終点の岩館駅へ。海岸線を走っている中で7時を迎えます。
さて、これが2020年だとどうなるかというと……。
2020年現在の移動
若松駅前バスターミナル 15:11 →(会津バス塩川・喜多方線・喜多方駅前行)→ 喜多方駅前 16:00
ここで終わりです。実は喜多方より先へは進めません。
1998年当時は、昭和時代に廃止された国鉄日中線の代替バスが「会津バス」により運行されていましたが、これは2012年9月に廃止(web.archive.org
)されており、現在は公共交通機関で日中へ移動する手段はありません。一時期、広田タクシー(london-taxi.jp
)によって会津若松市内や喜多方駅から観光客向けのバスが米沢駅まで運行されていたようですが、今は情報が見当たらないので短期間で廃止されたものと思われます。
また、温泉旅館「ゆもとや」の送迎バスも、公式サイトの交通アクセス(www.aizu-yumotoya.com
)を見る限り現在は喜多方駅のみのようで、米沢駅への送迎は止めてしまったようです。
というわけで、喜多方から米沢へバスで抜けることはできません。仕方がないので、会津若松駅から磐越西線を逆方向に乗り、郡山経由で米沢駅に向かうルートを試してみます。
2020年現在の移動
会津若松 15:05 →(磐越西線・郡山行)→ 郡山 16:19
郡山 16:45 →(東北線・福島行)→ 福島 17:32
福島 19:06 →(奥羽線・米沢行)→ 米沢 19:52
米沢 20:28 →(奥羽線・山形行)→ 山形 21:14
山形 21:33 →(奥羽線・新庄行)→ 新庄 22:42
残念ながら山形県の新庄駅までしか進めません。新庄駅から先は最終列車が早く、23時台以降の列車はないのです。翌朝の始発も 7:13 発なので、もはやこれまでです。福島ー米沢間は極端に普通列車が少ないため、福島駅での乗り継ぎ時間のロスが致命的なものとなってしまいました。
なお、最初に東武線に乗らず、素直に宇都宮線、東北線経由で行けば新庄駅には 20:10 着。この時間ならまだ北上でき、八郎潟駅には 23:49 に到着できます。彼らと同じく深夜に自転車で能代まで移動すると、五能線の始発列車が当時より若干早いダイヤになっているため、岩館からさらに深浦行きに乗り継ぐことができ、艫作駅まで行くことができます。
また、奥羽線縛りも無視して福島から先もひたすら東北線を北上すれば青森駅に 23:55 着。終夜運航の青函フェリー(www.seikan-ferry.co.jp
)に乗り、翌朝列車に乗り継げば北海道の新函館北斗駅まで北上することができます。
さらに、本来のテーマ度外視で長距離フェリーが許されるとしたら、八戸からシルバーフェリー(www.silverferry.jp
)に乗ることで苫小牧まで進むことができます。
20年前の録画映像を見ていると、やはり車両や施設の変化が目に付きます。のっけから中央緩行線の103系、中央快速線の201系が登場しますし、西チームが東京駅のきっぷ売り場にいるシーンでは、平成初期までよく見られた垂直の自動券売機が都会の駅でもまだ現役だったことが分かります。
宇高航路の窓口や船内の様子も今となっては味わえないものとなってしまいました。瀬戸大橋開通後も3社が競い合い、深夜まで国道沿いのネオンが輝いていた頃は、将来的に衰退はするにしてもまさか全廃されるとは思っていませんでしたし、そういう視点で見るといろいろ懐かしい映像となっています。
この20年で鉄道やバス、フェリーの状況も、そして番組内容も TOKIO も大きく変わりましたが、20年後はどうなっているでしょうか。
脚注
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1.
それを言い出したら飛行機も( “特別料金” が掛かるわけではないので)乗れるのではという気もしますが、常識的に不可でしょう。飛行機が NG でフェリーや高速バスが OK な理由を倫理的に説明せよと言われると困ってしまいますけれども。 ↩ 戻る
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2.
本当は次の伊予三島駅まで行くことができたのですが(6:57 頃着)、長時間停車の関係で時刻表上は「7:11発」の表記になっているため、長瀬、達也やスタッフらがその事実に気付かなかったものと思います。 ↩ 戻る
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3.
ちなみに「JR時刻表」はかなり離していました。 ↩ 戻る
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4.
時刻表の見方を分かっている人ならば、県境を表す線を見て山に隔てられた場所だと分かり、仮に直線距離が近かったとしても徒歩連絡など無謀な行為だと察するはずです。 ↩ 戻る