フロントエンドエンジニアとしての「羞恥心」と「品質」の話

11月11日に行われたJapan Accessibility Conference(JAC) vol.1(japan-a11y-conf.com)に行ってきました。

全体的な感想として、個々の具体的な手法や最新技術に触れるというよりは、「なぜアクセシビリティが必要なのか」「どこから手を付ければいいのか」といった啓蒙の面が大きかったと思います。

いくつかのセッションを聞いた中で、「羞恥心」と「品質」の2つのキーワードについて思い返すことがありましたので、イベントの感想を兼ねて。

羞恥心

「アクセシビリティに対する WordPress の責任について」(三好隆之さん)(speakerdeck.com)のセッション内でチラッと話されていた、アクセシビリティを気にする理由が共感できました。

僕がアクセシビリティを気にしているのは世のため人のためにやっているのではなくて、個人的に一開発者として、まったく使えないような物を世に出すのが恥ずかしい、羞恥心からアクセシビリティをやっている。

Room B のアーカイブ動画(2:19:03~)(freshlive.tv)

実は私自身もまったく同じでして、ウェブで情報発信をするにあたり、自分なりにマークアップやアクセシビリティにはこだわっているつもりですが、その理由を一言で表すとまさに羞恥心なのです。

HTML 3.2 の参考書を片手に手探りで個人サイトを開設したのが2001年。当時、すでに HTML 4.01 は勧告になっており、読んでいた本にも「今後は <font> や <center> を使うべきではない」といったことが注釈で書かれつつも、なぜ使ってはいけないのかが理解できずに普通に使ってしまっていました。

その後、CSSの存在を知り、さらにHTML 4.01 仕様書邦訳(www.asahi-net.or.jp)を全読して文書構造とプレゼンテーションの分離(www.asahi-net.or.jp)という思想に感銘を受け、また後にアクセシビリティやセキュリティにも意識を向けるようになったのですが、その原動力はやはりエンジニアとしての羞恥心でした。

HTML、CSS、JavaScript 等の中身はもちろん、HTTPレスポンスヘッダも含めて、それらはウェブページにアクセスしたすべてのユーザーに見られうるデータですから、そこをおざなりにした状態で公開することは、誰かにとってメリット・デメリットがあるという以前に、ただただ恥ずかしいんですね。

品質

もうひとつ、「メディア事業でのアクセシビリティ展開事例・CAではこうやってます」(桝田草一さん、土岐真里奈さん)(masup.net)のセッションでこんな発言がありました。

特別な誰かのための対応ではなくて、アクセシビリティは品質であり、みんなのためにやるもの。

Room B のアーカイブ動画(3:05:47~)(freshlive.tv)

ウェブアクセシビリティは高齢者、障害者など、特定の状況下に対する特別な配慮ではありませんが、じゃあ何のためにやるのかというと、インターネットユーザーみんなのためです。そこで出てくるのがアクセシビリティは品質という考え方です。

これについてはブログ「Website Usability Info」の2010年(!)の記事アクセシビリティはウェブの「標準品質」(website-usability.info)がとても分かりやすいです。


さて、これら「羞恥心」と「品質」に共通するものとして、表記統一の例を出してみます。

Webサイトを作ったり、書籍の原稿を書いたりするときに、日本語の使い方が間違っていないか、送り仮名や漢字の変換ミスがないかといった点に気を付けると思います。多少変な日本語であっても、ほとんどの場合読解に影響はありませんが、それでも時間を掛けて校正します。大抵の場合「スケジュールがギリギリだから(あるいは赤字だから)校正なしで行きましょう」とはならないですよね。実用上の観点からはそこまで重要ではないのに、そこにコストを掛けるのはなぜでしょうか。それは品質を担保するためであり、間違った日本語は恥ずかしいからではないでしょうか。

valid な HTML を書く、アクセシビリティに配慮するといったことも、これと同じく当たり前に行うべきことであり、自分自身そういう意識でやっていきたいなと改めて思った次第です。