目黒蒲田電鉄、東京横浜電鉄モハ510形の制御装置の内訳
1形式50両という当時としては他に類を見ない大量増備が行われたモハ510形は、その増備期間中に日立製作所における制御装置の改良が進んだため、製造時期により PR-150 型、PR-1Y1 型、PB-200 型の3タイプのバリエーションがありました。しかし何号車にどのタイプが搭載されていたかは文献によって記述が異なり、はっきりしたことは分かっていません。ここでは電鉄側の資料はもとより機器製造元である日立製作所の文献と、鉄道省への申請文書も参考にしつつ、それを推測してみます。
先に結論を書きます。私が推測する、モハ510形製造当初の制御装置の分類は下表のとおりです。
車号 | 両数 | 所属 | 購入認可申請 | 竣功日 | 制御装置(筆者推測) |
---|---|---|---|---|---|
510–512 | 3両 | 東横 | 1931年8月 | 1932年5月 | PR-150 → PR-1Y1 |
514–515 | 2両 | 目蒲 | 1931年8月 | 1932年5月 | PR-150 → PR-1Y1 |
516–520 | 5両 | 東横 | 1932年7月 | 1932年11月 | PR-1Y1 |
521–522, 524–529 | 8両 | 東横 | 1934年2月 | 1934年5月 | PR-1Y1 |
530–532, 534–536 | 6両 | 東横 | 1935年1月 | 1935年4月 | PB-200 |
537–541 | 5両 | 東横 | 1935年1月 | 1935年5月 | PB-200 |
542, 544–546 | 4両 | 目蒲 | 1935年4月 | 1935年8月 | PB-200 |
547–551 | 5両 | 目蒲 | 1935年4月 | 1935年9月 | PB-200 |
552, 554–562 | 10両 | 目蒲 | 1936年3月 | ― | PB-200 |
564–565 | 2両 | 東横 | 1936年3月 | ― | PB-200 |
- モハ552〜565 は購入認可申請ではなく認可を伴わない「増加届」であったため、竣功届が提出されていません。
当時の車両動向を調査する場合、1次資料としては鉄道省への申請書類(鉄道省文書)が挙げられます。通常、車両の新製や譲受を行う場合は認可申請書類に「車両設計書」が添付され、これには自重や寸法、主要機器の仕様が記載されています。モハ510形については、モハ529 以前の初期製造車は直並列複式空気制御型(日立製作所製)
との記述に留まっていますが、モハ530 以降は日立製作所製PB二〇〇型
と具体的な形式が記載されています。モハ552 以降は認可申請ではなく「増加届」の提出のため「車両設計書」の添付はありませんが、既認可車と同一設計とされているため同じく PB-200 型であると見なせます。
それ以外の信頼に足る資料ですと、「日立評論」および目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄発行の研究発表資料に詳細なデータが記載されています。まず1931年度には PR-150 型が東京横浜電鉄向けに2台、目黒蒲田電鉄向けに2台製作されたとあります[1]。搭載車種は記載されていませんが、時期的にモハ510〜515 しか考えられません。機器の製作が4台に対して車両の増備は5両である違いが気になるところですが、これとは別に1931年7月に大破品を使用して PR-150 型の改造製作が1台行われたとされているので[2]、1両分はそれを使用したのかもしれません。
一方、PR-1Y1 型は3回に分けて電鉄会社へ納入され、第1陣は1932年9月に5台が使用開始、第2陣は1933年1月と7月に計5台が使用開始[3]、そして第3弾は1934年度に8台が納入[4]されたことが分かっています。これをモハ510形の製造時期と照らし合わせると、第1陣はモハ516〜520 のグループに新製時から搭載され、第2陣はすでに竣功していたモハ510〜512, 514〜515 の在来型(PR-150)置き換え用、そして第3弾はモハ521〜522, 524〜529 のグループに新製時から搭載と考えることができます。
また当時の鉄道趣味雑誌の新車紹介においても、モハ521形式(1934年度増備グループを当時はそう呼んでいたらしい)の制御装置は PR-1Y1 型であると報告されています[5]。
以上をまとめると、製造当初は以下の3タイプであったと考えられます。
- モハ510〜515(5両)
- 暫定的に PR-150 型を搭載したが(うち1両は改造品を搭載?)、竣功より半年から1年ほどで PR-1Y1 型に換装
- モハ516〜529(13両)
- PR-1Y1 型を搭載
- モハ530〜565(32両)
- PB-200 型を搭載
しかしこれは定説とは異なります。鉄道ファン 1981年6月号 No.242「東急3450形物語1」(宮田道一、荻原俊夫)をはじめとする複数の鉄道ファン向け記事では以下のように書かれています。
- モハ510〜512(3両)
- PR-150 型
- モハ514〜520(7両)
- PR-1Y1 型
- モハ521〜565(40両)
- PB-200 型
これはおそらく東急電鉄社内に残された当時の資料を元にした記述と思われますが、さて、どちらが正しいのでしょうか。
脚注
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1.
日立評論 1932年1月号「昭和六年度に於ける我が製作界の成果」 p.56 ↩ 戻る
-
2.
目蒲東横電鐵業務研究彙報(昭和9年2月)「電車制御装置PR150型よりPR1Y1型への發達」 p.1(
dl.ndl.go.jp
) ↩ 戻る -
3.
目蒲東横電鐵業務研究彙報(昭和9年2月)「電車制御装置PR150型よりPR1Y1型への發達」 p.1(
dl.ndl.go.jp
) ↩ 戻る -
4.
日立評論 1935年1月号「昭和九年度に於ける我が製作界の成果」 p.67 ↩ 戻る
-
5.
鐵道(模型鉄道社) 1934年5月号 No.61(5周年記念号)「東京横濱電鐵会社新製半鋼電動客車に就て」(YM生) pp.6–7 ↩ 戻る