トラベルMOOK「東急電鉄の世界」の車両関連の記事にツッこむ
東急電鉄の世界(shop.kotsu.co.jp
)というムック本が発売されていたので買ってみました。車両に関する記述について気づいたところを。
8500系(24〜26ページ)
種別と運行番号も個別の表示器を備え、行先表示とともに運転台の設定器から一括で制御が可能とした。
設定器は運転台ではなく、運転士から見て背後となる運客仕切りの壁に設置されています。東武乗入車は押ボタン式に更新されましたが、位置は同じです。
1981(昭和56)年の新造中間車からは軽量構造の車体を採用し、屋根肩部のR(曲面)が特徴となっている。
1981年に製造された8000系グループには12-2次車、12-3次車、13次車がありますが、このうち12-2次車は軽量車ではありません。屋根肩部の形状もほかの非軽量車と同じです。
また、「特徴となっている」だけではどんな特徴なのか分かりません。カーブ半径が変わったこと自体を指しているのか、12-3次車、13次車のみに見られた「張り上げ」のことを言いたいのか…。
1997(平成9)年には、初期製造車両の室内更新を開始した。
(中略)
先頭車ワイパーの電動化およびウォッシャ設置などを行ったが、
運転台窓のワイパーは最初から電動式ですよ。運転士が手で動かすわけないじゃないですか! 作動方式が空気式から変更されたことを言いたいのでしょうが。なお車掌台側のワイパーは今でも手動式のはずです。
このうち、行先表示が幕のままでスカートが未設置の8606Fと、VVVF車組込みの8642Fが東武非乗入れ編成(マルK車)である。
- 「マルK」は、実際にはアルファベットのKを円で囲った記号です。WWWではその記号を再現できないため、カタカナとの組み合わせで表記しています。
「幕のまま」という表現は違和感を覚えます。17次車までは当初はタッチセンサー式であり、後にバーコード読み取り式への更新が行われましたが、途中からLED式への更新に変更されています。また、バーコード式になった車両も大半はLED式に再度更新されました。以上の経緯を考えると、この表現はオリジナルの(デビュー当時からの)字幕装置を使い続けているという誤解を生むのではないかと。
また、ここで突然「マルK」という俗称が使われているのも気になります。この由来については2000系の節(33ページ)において説明されているのですが、なぜ先にこちらで説明しないのでしょうか。
8637Fは「CATV号」以来、前面と側面に青帯が配されている。
カギ括弧付きで「CATV号」という用語を使っておきながら、それに関する説明が何もないのもどうかと思いますが、それはさておきその名前の元となった「東急ケーブルテレビジョン」は2001年に「イッツ・コミュニケーションズ」に社名変更(www.itscom.jp
)しており、車両のステッカーも「iTSCOM」に変更されました。iTSCOM号としての活躍は1年足らずで終わってしまったため、今でも「CATV号」の印象の方が圧倒的に強いのですが、かといってiTSCOMにまったく言及しないのは良くないと思いますね。
8090系(26〜27ページ)
90番台の車番が示すように試作的な意味もあったが、
それなら軽量試作車のデハ8401, 8402(後のデハ8254, 8255)こそ90番台になっていたはずでは?
8090系に関しては当時の東急社内でそういう位置づけがなされていたとしても、まるで 90番台 = 試作的 が当たり前であるかのような表現をするべきではないかと。
8590系(28〜29ページ)
ただし、貫通扉は非常用であるため外側へ開く構造となっている。
私は8590系の正面扉が開いたところを見たことはないのですが、日本の私鉄⑥ 東急(iss.ndl.go.jp
)の53ページには内側に開いた写真が掲載されています。今は外側に開くよう改造されたのでしょうか?
新造のデハ8590形とデハ8690形には、既存編成からデハ8190形とデハ8290形の奇数番号4両を組み合わせ、サハ8390形2両を含めた8両編成×5本とした。引き続き東横線で使用したこのグループを8590系と称する。
デハ8590形とデハ8690形に挟まれる中間車(本来は8090系)を「8590系」と表記するか否かは東急ファンの間でも賛否両論があると思います。この記事ではそう定義するという但し書き的な意味なのか、東急が公式または社内的に、あるいはファンの間で一般的にそう称されているという意味なのか、この文からは判断できません。
9000系(30〜32ページ)
9013Fは東横線で長らく“シャボン玉”意匠(TOQ-BOX号)で活躍
あれも「TOQ-BOX号」と呼ぶんでしょうか? 少なくとも正面と側面のステッカーには、9006Fや田園都市線8634Fに貼られていた「TOQ BOX」のロゴはありませんでしたが。
Y000系(37ページ)
2011(平成23)年にはワンマン運転時の安全性向上のため、列車後部につかまり乗りができないように先頭部の手すり撤去と裾部ステップを改修した。
まるで改修前はつかまり乗りが当たり前にできたかのような記述ですね…。これは以前も書きましたが、学生のいたずらでそういう事案が発生したというだけのことでしょう。
長野電鉄8500系(55ページ)
8514からは、編成中の補助電源装置の関係で離線対策としてクーラー1基を撤去し、パンタグラフを搭載した。
8515からです。
豊橋鉄道1800系(55〜56ページ)
元東急デハ7200形で、編成中間に組み込まれたため形式が分けられた。
モ1810形に関する記述ですが、当初は中間に組み込まれながら1801〜1809と同じくモ1800形の一員でした。
車番はそのままにモ1810形へ形式変更されたのは、運転機器の一部が撤去され先頭車としての機能を失った2006年のことです(上田から来たモ1860は譲渡当初から1810形)。
元東急クハ7500形で、冷房用電源のSIVを持つ。
ク2800形に関する記述ですが、2807〜2809の3両は当初は東急時代のままMGで、SIVに換装されたのは2009年のことです。
2810は東急時代に側面方向幕を装備していたが、上田電鉄譲渡時に塞がれた跡がある。
「塞がれた跡がある」という表現は変ですね。単に「塞がれた」でよいのでは。
伊賀鉄道200系(56ページ)
ク105はM車の電装解除により台車は東急9000系用を転用。
モ205も9000系用のTS-1004形に交換されています。台車交換に触れるならこちらも書いておかないと。