「いちばんやさしい ウェブアクセシビリティの教本」で言及された SF 的未来感と個人の自由意志に関する感想
2月に発売されたいちばんやさしい ウェブアクセシビリティの教本(book.impress.co.jp)を読了しました。
書名(というか出版社が命名したシリーズ名)に「いちばんやさしい」や「教本」とあるとおり、基本的には初心者向けの内容なので、正直ほぼ流し読みで細かくは読んでいません。初心者向けと言いつつ一部にかなり高度な内容が含まれており、個人的に学びがあった部分もありましたけど。
なのでここで感想を書くこともないかなあと思いながら読み進めていたのですが、最後の最後「Chapter7 これからのウェブアクセシビリティ」の中の「Lesson47 AI時代が変えるウェブアクセシビリティの可能性」(pp.272–275)は興味を惹かれました。そこでは AI の発展に伴う未来感が語られているのですが、この章はほかと異なり著者の個人的な思想が強く表れています。個人的にはそういう部分こそ「この本の内容(あるいは著者自身)は信用に値するのか」を判断できるので、むしろ序章として Lesson 0 に書いても良い話ではないかとすら思います。
著者の思想が現れているということは、当然そのすべてに賛同できるわけではないことにもなるのですが、ウェブに関わるすべての人に考えて欲しいテーマが取り上げられているので紹介する次第です。
Lesson47 の最後には『攻殻機動隊』の作品を例にして「障害」や「老化」といった身体的な機能や能力の差異、あるいは年齢によるそれらの衰えが人間社会から排除されたとき、ウェブアクセシビリティのような考え方は不要になるのでしょうか?
といった問いかけをされています。
私は自信を持って「それは否である」と断言しますし、むしろ「アクセシビリティとは本来“障害”や“老化”とは無関係である」と考えています。
「アクセシビリティは障害者や高齢者のためだけのものではない」と言われつつも、それに対して出される例が「一時的に怪我をした場合」や「育児や料理中で手が離せない場合」といった“障害”の範疇に収まってしまうのは、結局のところ人類の文明がまだ未熟だからでしょう。障害者でなくとも一時的に怪我をした場合にアクセシビリティ大事だという啓蒙の仕方だと、科学の発達で「怪我」の概念がなくなった未来においてはいずれアクセシビリティは不要になると誤解されてしまい、良い例えとは言えません。
著者はこれに対して次のように締めています。
さらに、すべての人がその技術を受け入れるわけではありません。宗教的、文化的、個人的な理由で電脳化や義体化を拒否する人の権利も尊重されるべきで、どんなに技術が進歩しても、多様な人々のニーズに応えるという課題は残り続けることになるでしょう。
『攻殻機動隊』のような SF 作品を例に出すまでもなく、現代社会においてもこのような拒否する権利の尊重はまだ不十分です。障害や病気のように、本人の意志に反したやむを得ない事象に対してアクセシビリティが重要だという認識は一昔前と比べれば格段に普及した一方で、「宗教的、文化的、個人的な理由」はどうでしょうか。本人の自由意志であえて機能を制限したり、やろうと思えばできることをやらない選択を取ったりする人々に対して、「それはあなたの勝手な判断なので考慮する必要はない」という態度を取る人は、いわゆるアクセシビリティ界隈の中でも多く見かけます。
ただしその自由意志をどこまで尊重すべきかは時代によっても変わってくるでしょう。
カメラが発明された当初、「魂が抜かれる」という迷信を信じて撮影を拒む人もいたと聞きます。おそらく当時は「写真を撮られたくない」ことに対して、社会的な権利が確立されていたと想像します。一方で現代では学校の卒業アルバムや公的書類、あるいは街中の監視カメラをはじめとして、本人の意志に関わらず強制的に写真が撮られます。写真を一切撮られない生活は不可能であり、一部に存在する先住民部族を除けば写真を撮られない自由は世界的に失われたと言ってよいでしょう。
なぜそのようなことが許されるのかというと、より優先度の高い問題(現代社会の秩序を守る)のために避けられないことだからでしょう。そのように考えると「電脳化や義体化を拒否する人の権利」というのは、2026年時点では多くの人が守られるべきと考えているとしても、もし本当に『攻殻機動隊』のような未来が来たら電脳化せずには社会的に生きられないことにもなり得ますし、それは仕方のないことでもあります。
すなわち個人の意志や権利というのは無条件になんでも尊重されるわけではないのでないのですが、ただし現実世界とウェブでは前提が異なることも考慮すべきです。たとえばバリアフリー目的で鉄道駅に設置されたエレベーターは障害者やベビーカー等が優先して使うものであり、健常者が我先に使うのはマナー違反と言えます。しかしそれはエレベーターの運搬能力に制約があるためであり、需要に対して充分な設備が整えられていれば本来そのようなマナーは必要ないはずです。
人間がゼロから作り上げたウェブの世界ではそのような制約はほとんどありませんから、「個人の意志は無条件に尊重されるわけではない」とはいえ、現実世界の指標とは違う物差しで考える必要があるでしょう。そしてその物差しは今のところ我々(誰)の間で共通認識がない状況であり、もっと議論が必要ではないかと思います。
考え方は人それぞれなので、そのような議論はともすればマサカリが飛んできたり、炎上したりといった面倒な事態にもなりかねません(経験済み)。ちなみにマサカリ問題に関しても本書で言及があります(笑)。しかしアクセシビリティをやる以上、より本質的にはコーディングや WCAG だけでなく、思想的な面にも突っ込んでゆく必要があるでしょう。
そういう意味で本書の Lesson47 は内容ももちろんですが、その言及をしたこと自体を評価する次第です。
