鉄道ダイヤ情報「東急8500系ラストガイド」はツッコミどころ満載で楽しい(楽しくない)

本日発売された「鉄道ダイヤ情報」2019年11月号(No.427)(shop.kotsu.co.jp)は「東急8500系ラストガイド」の特集とのことで購入しました。

内容に関しては致命的な事実誤認が多い感じです。以下、気になった点を書いていきます。

ポイント解説 東急8500系の魅力(解説:伊原薫)

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車端の貫通路にもバリエーションが見られる。オリジナルは幅が広く、一部車両にのみ両開きの扉が備わる。車椅子スペースの設置にあわせて幅を狭くしたタイプもあるが、隣接する車両は広幅のまま……だったりする。

冒頭記事からいきなりのけぞってしまいました。幅の狭い片引きの貫通ドア(8601F〜8630Fの9号車上り方が該当)は車椅子スペースの設置とは関係ありません。これらの車両は単に後から増設されたために片引きドアとなっただけです。

ちなみに東横線8000系の7号車、大井町線8000系、8090系の4号車では車椅子スペース + 両引き貫通ドアの組み合わせが見られました(片引きドアへの改造は行われていません)。今でもこの組み合わせは譲渡先(伊豆急行など)で見られます。

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デハ8188の車椅子スペースと両引き貫通ドアオリジナル画像

東急電鉄田園都市線と8500系電車の「略史」(解説:土屋武之)

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翌年には10次車37両が入線して、田園都市線〜新玉川線直通運転に伴う8両編成への増強が、1979(昭和54)年に行われた。

8500系の10次車は、8630F(6連)を含む 8530、8630、8743〜8749、8823〜8837、8920〜8933 の38両です。

ただし、1981年製の13次車8両からは、車体が8090系に準じた軽量ステンレス構造に変更され、屋根のR部分(カーブ)の丸みが強くなっている。

表現の問題ですが、サハ8900形のうち1981年製は13次車だけではない(12-2次車も該当)のと、8000系グループ全体で見た場合、垂直車体で軽量ステンレス構造になったのは12-3次車からなので、誤解を招く表現になっていると感じました。

さらに1983(昭和58)年1月には、14次車22両を挿入して10両編成を組成。

これも表現の問題。編成増強の視点で見ればそのとおり(11本が8→10両化)なのですが、一方で車両増備の視点から見ると14次車自体の製造は計40両で、そのことが前後の文章でも補完されていません。これも誤解を招くのではないでしょうか。

1986(昭和61)年製の18次車48両の内容は10両編成×1本と、大井町線との共通予備車となる5両編成×4本。

重箱の隅をつつく指摘になりますが、18次車のうち8640F、8641Fは大井町線への新製投入なので、「大井町線との共通予備車」という田玉線側からのみの視点の書き方は正確なものではありません。なお、これら2編成10両が田園都市・新玉川線へ転籍したのは、新製からおよそ2年後の1989年1月です。

これで8500系は10両編成×40本(うち2本は5両+5両編成)、計400両が田園都市線に集結することになる。8500系は文字通り「田園都市線の電車」として全盛期を迎えることになった。

記事の途中から新玉川線の存在が抜けています。ぜんぜん文字通りではないです。

車内の更新工事は1997(平成9)年度から始まったが、

8500系の更新工事は車内だけでなく車外も対象でした[1]。屋根改修が目立つところですね。

東急8500系車両解説(解説:柴田東吾)

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2003(平成15)年からの東武線乗入れでは、最終的に8500系の8614F〜8617F・8619F〜8623F・8625F〜8637Fの22本が東武線直通対応に改造されたが、残りは東武線乗入れには対応せず、2000系と、田園都市線に転入した8590系はともに田園都市線と半蔵門線渋谷〜押上間で使用された。

8500系の東武乗り入れ改造は、当初は8615F〜8637Fの23本、後に8613F、8614Fが追加改造されて計25本です。

また、製造当初から5両+5両の編成に分割可能だった8638F〜8641Fは、2003年に田園都市線との共通予備車の役割を解かれて大井町線に転籍。

10連時代末期の中間運転台はマスコンハンドルが抜かれ、連結器も棒連結器に交換されるなど、事実上分割が不可能な状態になっていました。もしかしたら、あくまで扱いは「共通予備車」のままであった可能性は否定できませんが、まるで2003年に至るまでいつでも5連に分割しての運転が可能であったと受け取れるような表現は避けるべきではないでしょうか。

現存する8500系の形態分類

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座席の色は当初エンジ色で、後に8637F以降と同じ茶色・黄色の交互配置となり、

「8637F以降と同じ」と書かれていますが、違います。8637F〜8642Fは9000系と同じくオレンジ/ブラウンの配色ですが、中仕切りのない在来車はコントラスト比を抑える観点からブラウンの方が薄くなっており(この薄い茶色は「マルーン」と呼ばれています)、8590系や8500系20次車の組込車では中仕切りがあるにもかかわらず、編成内での統一の観点からかやはりマルーンが採用されました。「鉄道ジャーナル」1988年11月号(No.265)(Amazon)94ページの8590系新造記事などでこのことが解説されていますね。

後に9000系などもモケット張り替え時にオレンジ/マルーンに移行しており、過渡期には7915Fで編成中の車両によってブラウンとマルーンが混在していた事例もありました[2]

8500系では、当時の東急で標準のペデスタル式の空気バネ台車が採用され、電動車ではTS-807AまたはTS-807Mを、

21次車はTS-807C型(w0s.jp)でした。現存車のみを記載する方針だとしても、別の部分でクハ8000のTS-708型にまで触れておきながら、TS-807C型の存在を完全に無視するのはバランスが取れていないと感じます。

地方私鉄で活躍を続ける8500系(文:土屋武之)

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なお、デハ8516の改造種車はデハ8841で、国内譲渡された8500系では唯一の軽量構造車という見どころもある。

秩父鉄道サハ7101(東急サハ8950)も軽量車です。長野電鉄デハ8516と同じ13次車ですから張り上げ屋根で目立ちますね。

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秩父鉄道サハ7101の形式写真(2009年4月11日 三峰口駅にて)オリジナル画像

(写真12のキャプション)車椅子スペースも長野電鉄入りにあわせて設置

長野電鉄で車椅子スペースが設置されているのは中間車のサハ8550形ですが、譲渡時に新設されたのは半数のみで、東急サハ8900形時代に3号車に組み込まれていた車両は東急在籍時から設置されています。ただし、長野電鉄譲渡に際してヒーターの増設などの改造はされています。

以下に示す写真はサハ8552(東急サハ8908)の車椅子スペースで、これは譲渡後に新設されたものです。東急時代から設置されていた車両と仕様を合わせるためか、窓下手摺りが短くなっている[3]のがおもしろいですね。

サムネイル画像
長野電鉄サハ8552の車椅子スペースオリジナル画像

脚注

  • 1.

    なので、「車体更新」と呼ばれています。 ↩ 戻る

  • 2.

    当時の7915Fは車両によって検査時期が異なっていたためと思われます。 ↩ 戻る

  • 3.

    東急電車では1999年度あたりから車椅子スペースの窓下手摺りが側戸脇まで伸びる長いタイプになっています。新3000系では1次車のみ短いので違いの把握が分かりやすいですね。 ↩ 戻る