久米田康治先生の「描く仕事の本当のところを書く仕事」を検証する仕事
まもなく最終回を迎える『かくしごと』ですが、久米田作品のファンを20年以上やっている身としては後藤可久士を久米田康治と重ね合わせる愉しみ方もしています。
久米田先生自身は「モデルは自分ではない」と否定していますが、作中で描かれるエピソードは8割方が実話からのフィードバック
(第1巻 p.35)と書かれています。そして、それらは単行本の「描く仕事の本当のところを書く仕事」で補足説明がなされているのですが、1ページに収める都合上どうしても簡便な説明に留まってしまっています。そのため、本記事では「描く仕事の本当のところを書く仕事」に書かれたエピソードからとくに注目したいものをピックアップし、これまでの漫画作品やインタビュー発言と照らし合わせてより詳細に解説するという嫌がらせ……ではなく検証をしたいと思います(仮に久米田先生本人に読まれたら嫌われそう)。
- 以下、見出しの括弧内の数字は「描く仕事の本当のところを書く仕事」の通し番号です。
第1巻
(1) - 1巻 p.35
『太陽の戦士ポカポカ』第1巻の「南国スポーツ」(p.186)では友人の結婚式で子供に「○ーラームー○」の絵をねだられて描いたエピソードが紹介されている。サンデーまんが家BACKSTAGE|久米田康治 Vol.4(websunday.net
)でも友人の結婚式でコナンを描いたと報告している。
「月刊ぱふ」2006年9月号のインタビュー(p.47)では親戚の集まりでセーラームーンを、数合わせに呼ばれた結婚式でやはりセーラームーンを描いたと語っている。
そのほかにも、『かってに改蔵』第19巻の「今巻の反省文」(p.188)では求められてセーラームーン描くけど、まず亜美ちゃんしか描かないし
、『さよなら絶望先生』第8集の「紙ブログ」(p.155)では「知人の結婚式で小さい子に漫画家なんでしょ、セーラームーン描いて」とせがまれたりね
と白状している。
(2) - 1巻 p.69
最初のきっかけが担当編集の竹田哲也によるものであることは「講談社コミックプラス」のインタビュー(news.kodansha.co.jp
)や「コミックナタリー」の画業26年目インタビュー(natalie.mu
)で語られているほか、BS日テレで放送された「あの子は漫画を読まない」(2020年4月15日)で竹田氏本人からも証言されている。なお、『かくしごと』のタイトルについてはMANTANWEBでの竹田氏コメント(mantan-web.jp
)によると久米田先生が決められたとのこと。
「かってに研究しやがれBOOK」のインタビュー(p.114)では、水曜日はコンビニに行かないんですよ。イヤだから。(中略)電車も乗らないです。読んでいるやついたらイヤだから。水曜は引きこもってますから。危険な日として。
と発言している。
『かってに改蔵』第26巻の「大反省文」(p.220)には(連載が終了したので)6年ぶりに水曜日に外に出た
と書かれている。『さよなら絶望先生』連載中の「月刊 創」2006年6月号の対談(p.47)では再び水曜日はなるべく外出しないようにしている
と発言している。
また、『かってに改蔵』第18巻 p.93 ではサンデーを読んでいないことが当時の担当によって暴露されており、「月刊ぱふ」2006年9月号のインタビュー(p.44)でもマガジンをあまり読んでいないと証言している。
(3) - 1巻 p.107
餃子を作ったことは、元アシスタントの畑健二郎がサンデーまんが家BACKSTAGE Vol.36(websunday.net
)やツイートで回想している。
(4) - 1巻 p.143
『行け!!南国アイスホッケー部』第23巻 p.186 に詳細が書かれている。第20巻の巻末漫画で新宿へ引っ越したとの報告があり、第21巻の巻末漫画で仕事場をそこへ移し大幅なリフォームを行ったとあるので、新宿への移転直後の出来事と思われる。
また、サンデーまんが家BACKSTAGE|久米田康治 Vol.14(websunday.net
)でも警察が来た話が掲載されている。
(5) - 1巻 p.179
『かってに改蔵』第26巻の「最後の戦い」(p.158)には『秀才バカボン』のパパが「これでいいのか?」と言うネタがある。「講談社コミックプラス」のインタビュー(news.kodansha.co.jp
)でも赤塚不二夫先生の名前を出して「これでいいのか?」と言っている。
このマンガがすごい! 2008の「あの人気マンガ家に聞く!」(p.85)のコーナーで、影響を受けたマンガとして『タッチ』『うる星やつら』と共に『天才バカボン』を挙げているように、久米田先生にとってリスペクト対象のようだ。
第2巻
(6) - 2巻 p.35
それぞれ以下のこと。
- 漫画原作
- 『なんくる姉さん』(
yanmaga.jp
)(2016年〜2019年) - アニメのキャラクターデザイン
- 『有頂天家族』(
uchoten-anime.com
)(2013年、2017年) - 小説のカバーイラストとさし絵
- 『骨董靴工房アッシェンプッテルの来客簿』(
www.seikaisha.co.jp
)(2015年) - 新作落語
- 『じょしらく』(2009年〜2013年)のキャラクター落語(コミック1〜2巻特別版、Blu-ray / DVD 1〜5巻の特典)のことか?
- 挿入歌の歌詞
- アニメ『俗・さよなら絶望先生』(
king-cr.jp
)(2008年)の「トロイメライ」や「絶望音頭」のことか?
(7) - 2巻 p.63
「久米田康治画集 悔画展」のインタビューでは、アシスタントは7〜8人で全員在宅、地方在住で会ったことのない人もいると話されている。
(8) - 2巻 p.93
「hon-nin」Vol.08(2008年9月発売)のコラム「大至急本人を!」(pp.55-58)に、世間では「久保田」と名乗っており、「久里田」も使っているというエッセイが掲載されている。
『さよなら絶望先生』第26集の紙ブログ(p.155)では「久保田浩司」と下の名前まで明かされており、初期には「久米浩司」も使用していたことが発覚している。また、偽名を使っているのは漫画家とバレないためだけでなく、もともと「久米田」が正しく読まれなかったり、「康治」の漢字をよく間違われたりすることも理由に挙げている。
名前だけでなく職業も隠しているようで、『行け!!南国アイスホッケー部』第6巻のカバー折り返し部分ではライターや教師など様々な職種に偽っていることを懺悔している。「かってに研究しやがれBOOK」p.118 ではだいたいは“プログラマー”とかおぼろげなことを。美容室なんかでも「大変なんです不景気で」とか嘘設定で話します。
と発言、『さよなら絶望先生』第2集の紙ブログ(p.155)では同じく美容院と思わしき場所で職業を「プログラム関係です」と答えている1コマ漫画が掲載、「講談社コミックプラス」のインタビュー(news.kodansha.co.jp
)では「美容院とかで仕事を聞かれるとコミックのカバーデザインの仕事をしています」って言うくらいですかね。
と答えている。
さらに年齢を偽ることもあるようで、『さよなら絶望先生』第14集の「紙ブログ」(p.158)では洋服屋のメンバーズカードに2歳、年をごまかして書いた
と証言している。
「久保田」に間違われる例として、「描く仕事の本当のところを書く仕事」で書かれているのは日常生活で間違われたエピソードのことと思われるが、漫画家としても「オトナアニメ Vol.6」の写真キャプション(p.108)に「久保田先生の事務所」と書かれてしまったことがある(後に発行された「別冊オトナアニメ シャフト超全集!!」によると「快く許していただいた」とのこと)。
生前葬をきっかけに気付かれた話は『さよなら絶望先生』第13集の「紙ブログ」(p.155)で歯医者のエピソードが語られている。また、「月刊ぱふ」2006年9月号のインタビュー(p.47)では「久米田さんですか?」と言われたのはビックカメラの店員に一度だけ
と証言していることから、本名で気付かれたのは1991年(デビュー)〜2006年の16年間で1回なのに対し、2006年〜2016年(『かくしごと』2巻発売)の11年間では4回ということになる。やはり『絶望先生』のアニメ化や生前葬で知名度が上がったということだろうか。
(8) - 2巻 p.93
「このマンガがすごい! SIDE-B」のインタビュー(p.33)では、キャラに名前をつけるのがすごく恥ずかしい
、キャラに名前をつけるにしても、なにかしら理由付けが欲しい
、ダジャレっぽくなっているのは、そこへの言い訳がしたいからなんですよ
といった発言をしている。
(9) - 2巻 p.127
『かってに改蔵』の単行本15巻以降には奥付に連載担当者名が掲載されているが、19巻〜最終巻の担当・武藤心平は「かってに研究しやがれBOOK」p.121 において6人目であることが明かされている。また、『かってに改蔵』新装版7巻の巻末企画「久米田先生VS『かってに改蔵』歴代担当者!」に小学館の元担当編集者6人が写真付きで掲載されているが、集合写真のキャプションでは「6人全員が駆けつけた」という表現がされているため、本連載中の担当は6人で、2010年〜2011年の新装版発行や特別番外編掲載の担当を含めて7人という意味と思われる。なお、『改蔵』の初代担当は坪内地丹の名前のモデルにもなった坪内崇(jinji.shogakukan.co.jp
)。
『せっかち伯爵と時間どろぼう』における「全部で4人」というのは頻繁に担当替えがあったわけではなく、2人の担当が一度に変わったためであることが単行本の描き下ろしページで語られている。同作の単行本1巻時点の担当は鈴木(daysneo.com
)と平野(daysneo.com
)だったのが(1巻「エセエヌエス(仮)」より)、両名とも3巻時点で別雑誌に異動し、新たにZ氏とI氏に変わったとのことである(3巻おまけ漫画および「エセエヌエス(仮)」より)。
第34回 月刊少年マガジン・マガジンR 新人漫画賞(www.gmaga.co
)で村枝賢一とともに審査員を勤めており、漫画部門の佳作に対するコメントと同じ文章が作中でも使われている。
(10) - 2巻 p.163
『さよなら絶望先生』第54話で大々的につっこまれた竹田哲也のこと。その後「なかよし」に異動となったが(第14集の巻末企画より)、後に担当に復帰したようだ。2020年4月15日には「あの子は漫画を読まない」(BS日テレ)で久米田先生とともにTV出演している。
第3巻
(12) - 3巻 p.75
『かくしごと』1巻発売を記念して2016年6月26日にアニメイト名古屋店で行われたサイン会のこと。アニメイト店舗ブログ(www.animate.co.jp
)や月刊少年マガジン2016年9月号に開催レポートがある。
(13) - 3巻 p.111
親に隠されていた話は季刊エス55号(2016年秋号)のインタビュー(p.75)で語られている。
また隠されていた話とは少し異なるが、「かってに研究しやがれBOOK」p.117 では『行け!!南国アイスホッケー部』を読んだ父親とのエピソードが語られている。
第6巻
(24) - 6巻 p.63
SKY MANGA(2018年7月)(www.jal.co.jp
)によると第1集〜第3集が対象だった模様。
(25) - 6巻 p.101
「久米田康治画集 悔画展」のインタビューでは、友達の悪口を書いたことにより担任から打ち切りを宣告されたエピソードが話されている。
第7巻
(27) - 7巻 p.49
2020年4月15日放送の「あの子は漫画を読まない」(BS日テレ)では実際に iPad を使っていると発言していた。
(30) - 7巻 p.147
これは『かくしごと』自体のことを指していると思われる。「講談社コミックプラス」のインタビュー(news.kodansha.co.jp
)でも『かくしごと』は最初に「やらないこと」を決めてスタートした
と発言している。
第8巻
(34) - 8巻 p.147
前作『せっかち伯爵と時間どろぼう』の終了については、第5巻の「エセエヌエス(仮)」(p.154)でも最近は打ち切りも若い担当者からメールで知らされるくらいですから、
と書かれている。
第9巻
(35) - 9巻 p.43
Twitter アカウント(@3doO4OZ07IlQnOo)の作成は2019年7月4日だが、9巻が発売された9月17日まで本人や周辺からの告知はなかった。当時はアイコン画像も設定されていなかったが、現在ではツイートは一切しないものの時々アイコンの変更のみを行っている。
第10巻
(40) - 10巻 p.77
生前葬については『さよなら絶望先生』第9集「紙ブログ」(pp.154-155)において、2007年6月21日に都内で行われたことが報告されている。
また、舞台「49日後・・・」(stage.parco.jp
)のパンフレットにも「生前葬を終えて」と題し、体験談のインタビューや再現イラスト、写真が掲載されている(イラストのみ「久米田康治画集 悔画展」に収録)。
第11巻
(44) - 11巻 p.73
2018年1月に発売された「さくらのおと~佐倉綾音フォトブック~」にイラストが掲載されている。
(46) - 11巻 p.147
『さよなら絶望先生』第10集「紙ブログ」(p.156)において、声優ファンに「お前の描くキャラが○○さんの声に合っていない」と言われたと証言している。