久米田康治年表(かってに改蔵連載開始以前)

先日から池袋マルイで久米田康治画業30周年記念『全曝し展』〜本当は31周年〜(www.kumeta-zensarashiten.com) が行われています。

展示全体のレポートは別の機会にするとして、今回楽しみにしてものの一つが年表です。これまで公式に年表が作られたことはありませんでしたから、30年(31年)の節目にこういったものがまとめられ、図録に収録されるのは価値のあることだと思います。

会場に掲示された年表

ところが実際にできた年表を見てみると、全体的に粗が目立ってしまっていました。

とくに酷いのは『太陽の戦士ポカポカ』以前の初期の連載歴で、この年表を真に受けると一時期は『南国』『ルーパラ』『ダーリン』『ポカポカ』を4本同時連載していたことになってしまいます。いくらデビュー当時の久米田先生が「元気」を売りにしていたとはいえ、さすがに激務すぎてあり得ません。

会場の年表の『ポカポカ』周辺のアップ

正しくは『南国』連載中に『ルーパラ』を1年間連載、『ルーパラ』完結後に『ダーリン』を連載、その中断の直後に『南国』完結、1か月後に『ポカポカ』連載開始という流れになります。

まあ『ルーパラ』終了→『ダーリン』開始と、『南国』終了→『ポカポカ』開始は、連載の準備期間というにはあまりにも短い日数でしたから、実際の執筆作業としては3作品同時並行まではあった可能性はありますが、いずれにしても年表の記載年数が正しくないことに違いはありません。

  1. 年表
  2. 久米田先生の「画業」の開始はどこなのか

年表

§

というわけで抜けている情報を補いつつ、『かってに改蔵』連載開始までの年表を記載します。あくまで個人で作ったものなのでこれも抜けや間違いはあると思いますが、少なくとも公式の年表よりは正確なはずです。

1988年6月22日
「まんがカレッジ」1988年5月期の「あと一歩で賞」に『家庭内紛争』が選ばれる(週刊少年サンデー 1988年30号)[1]
1988年11月23日
「まんがカレッジ」1988年10月期の努力賞に『地上げにスマッシュ』が選ばれる(週刊少年サンデー 1988年52号)。
1989年5月24日
「まんがカレッジ」1989年4月期の努力賞に『ゲットインパラダイス』[2]が選ばれる(週刊少年サンデー 1989年25号)。
1990年11月7日
「第27回新人コミック大賞」第1次審査発表(週刊少年サンデー 1990年49号)、通過作品264作の中に『行け!!南国アイスホッケー部』があり、以降も第3次審査まで残る。
1990年11月28日
「第27回新人コミック大賞」で『行け!!南国アイスホッケー部』が入選(週刊少年サンデー 1990年52号)。
1991年2月13日
『行け!!南国アイスホッケー部』第1話掲載(週刊少年サンデー 1991年10号)。
1991年3月20日
『行け!!南国アイスホッケー部』本格的に連載開始。第2話で表紙&巻頭カラーを飾る(週刊少年サンデー 1991年15号)。表紙イラストはスティックを持った月斗。
1991年6月26日
第1部終了後、2か月ほど中断していた『行け!!南国アイスホッケー部』を再開(週刊少年サンデー 1991年29号)、2度目の表紙&巻頭カラー。
1992年7月〜8月
少年サンデー「元気まつり」実施。札幌会場、名古屋会場に登壇。札幌会場の様子は『行け!!南国アイスホッケー部』5巻でレポートされている。
1992年8月28日
初の読切『アシという名のもとに』掲載(週刊少年サンデー増刊 1992年9月号、単行本未収録)。原案は黒沢原作(黒沢哲哉の本作限りの名義)(allnightpress.com)
1993年7月23日
『√P ルートパラダイス』連載開始(ヤングサンデー 1993年15号)。
1993年7月〜8月
少年サンデー「超元気まつり」実施。福岡会場に登壇。
1994年7月8日
『√P ルートパラダイス』完結(ヤングサンデー 1994年14号)。
1994年11月19日
『だんな様は小学生!!』掲載(週刊少年サンデー増刊 1994年12月号)、翌月号から『育ってダーリン!!』として新連載。
1996年1月18日
読切『幽良物件仲介します』掲載(週刊ヤングサンデー1996年7号)。
1996年5月20日
『育ってダーリン!!』休載(週刊少年サンデー超 1996年6月号)。
1996年7月24日
『行け!!南国アイスホッケー部』完結(週刊少年サンデー 1996年34号)。
1996年8月28日
『太陽の戦士ポカポカ』連載開始(週刊少年サンデー 1996年39号)、表紙&巻頭カラー。
1996年12月11日
任天堂の宮本茂と対談(週刊少年サンデー 1997年2・3号)。『太陽の戦士ポカポカ』1巻でも言及される。
1997年5月
4コマ漫画「ネギと女子高生」掲載(ビッグコミックスピリッツ 1997年6月2日増刊号)。
1997年8月27日
『太陽の戦士ポカポカ』完結(週刊少年サンデー 1997年39号)。
1998年4月22日
『かってに改蔵』連載開始(週刊少年サンデー 1998年21・22号)。
  • 個人的にカラー掲載号の全リストや新年企画などもっと細かくまとめていますが、公式年表の掲載レベルに合わせてあえてデチューンしています。

久米田先生の「画業」の開始はどこなのか

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今回の展示会名に「本当は31周年」とあるので、公式には1990年が画業を始めた年という扱いになりそうです。

上記の年表に記載したとおり、連載までの流れはこのようになっています。

  • 1988年: 「まんがカレッジ」に『家庭内紛争』を投稿するも入賞せず
  • 1988年: 「まんがカレッジ」に『地上げにスマッシュ』を投稿し、努力賞を受賞
  • 1989年: 「まんがカレッジ」に『ゲットインパラダイス』を投稿し、努力賞を受賞
  • 1990年: 「第27回新人コミック大賞」に『行け!!南国アイスホッケー部』を投稿し、入選
  • 1991年: 週刊少年サンデーで『行け!!南国アイスホッケー部』連載開始

この事実からすると、『行け!!南国アイスホッケー部』の入選、あるいは入選したことで実際に連載に向けての執筆作業を開始したことをもって画業開始としているように思えますが、注意したいのは図録掲載の年表では『地上げにスマッシュ』の投稿年が1990年と誤って記載されていることです[3]

もし初めて賞を取ったことをもって画業開始としているのなら「本当は33周年」になりそうですが、さすがにそんなミスはしないだろうとは思うので、やはり実際に連載を勝ち取った『行け!!南国アイスホッケー部』の入選が基準なのでしょうかね。どちらにしても、連載が開始された年(1991年)ではないということには注意したいところです。

脚注

  • 1.

    漫画雑誌に「久米田康治」の名前が出た初の事例ですが、正式な入賞ではないためか、公式には次の『地上げにスマッシュ』が初投稿作品のような扱いとなっています。例えば「月刊 創」2006年6月号の「【異色対談】荒川弘×久米田康治」の対談では最初に『サンデー』に送ったやつが努力賞でした。という発言をされています。 ↩ 戻る

  • 2.

    アイスホッケーのユニフォームを着た主人公(月斗?)らしきイラストが描かれており、『行け!!南国アイスホッケー部』の原型と言えるのではないかと思われます。 ↩ 戻る

  • 3.

    ちなみに作品名も『地上げにスマッシュ!』と間違った表記になってしまっています。正しくは感嘆符なしです。きっちりしなさい! ↩ 戻る