いじめと Web アクセシビリティ

今朝嫌な夢を見た。小学生時代にあったいじめの回想だ。

私が通っていた小学校では低学年の時に2回いじめがあった。一人は容姿を理由としたいじめ、もう一人は理由がよく分からない。気付いたらクラス全体でいじめが発生していた。たぶんきっかけは些細なことだったのだろう。いじめの内容は暴力的な嫌がらせである。個々の出来事はあまり覚えていないが、ひとつ印象に残っているのは体育の時間に移動した後、実際に授業が始まるまでの隙間時間に逃げる被害者に向かってみんなでボールをぶつけたことがあった。しょせん低学年の体力なので殺傷沙汰に発展したことはなかったが、あれは集団リンチと呼べるものだったと思う。

誰が音頭を取るわけでもなく、クラスメイトの大半が日常的にいじめに加担していたが、私はそれに一切参加しなかった。被害者と仲が良かったわけではなく、また正義感が高かったわけでもない。ただいじめを行う理由がなくそのメリットも見出せず、さらに私は協調性のない人間なのでみんながやっているから自分も参加する思考にならなかっただけのことだ。

だから私はいじめに加担こそしなかったものの、積極的に止めたり被害者に寄り添うこともせず、ただ傍観していた。幸いにと言って良いのか、おそらく加害者の大半は特段の悪意なく(悪意の概念すら持たない低学年だ)、その場の雰囲気に流されての同調に過ぎなかったので、標的が空気の読めない私に向かうことはなかった。

そしてこれは強調しておきたいのだが、決してクラスの治安が悪いわけではなかった。被害者にとってはつらい日々だったかもしれないが、少なくとも傍観者であった私の感覚では、いじめ以外の面ではごく普通のクラスであり、学級崩壊などとはほど遠いものであった。


大人になったいま、リアルないじめに遭遇することは少ないが、インターネット上ではいじめや差別を目にしない日はない。これは「炎上」を指しているのではない。Web アクセシビリティの問題である。

ブラウザの設定でセキュリティーやプライバシーに関わる部分を変更して Web ページにアクセスすると、まるでこちらが悪いかのように「あなたの環境では閲覧できません」と言われてしまう。その昔、JavaScript 無効環境に対して <noscript> 要素をエラーメッセージの表示に利用する誤用が行われていたが、本質的にはそれと同じことが今もまかり通っている。アカウント登録をするでもなく、ただ閲覧をしたいだけなのに Cookie の受け入れが必須なサイトが多すぎる。Web アクセシビリティ重視を謳っているサイトも例外ではなく、実際に頻繁に遭遇する。

SNS で画像の ALT 機能に長文の感想を入れるユーザーがいる。ALT がなんの機能か分かっていない人も多いと思うが、認知したうえで SNS の ALT 機能は HTML 仕様のそれとはかけ離れたものだからとあえてそうしているユーザーもいるようだ。

居住地や年齢が要因になることもある。最近、公人の X でのブロック機能の使い方が世間を騒がせている。その行為の是非はどうでもいいが、X のブロック機能は2023年7月以前とそれ以降で意味合いが変わっていることは意識する必要がある。以前はブロックされてもログアウトすれば投稿を見ることができた。今は別のアカウントでログインしないと投稿に辿り着くことができない。さらに先月 X の利用が禁止された国が増えてしまった。13歳未満の人は国に関わらず以前から規約でアカウントを作ることができない。子供の SNS 参加禁止には合理性があると思うが、企業や公人の投稿を見ることすらできないのはどうだろう。


小学生時代のいじめに話を戻す。そのいじめは被害者の転校という形で幕を下ろした。担任はいじめの事実を把握していたが、結局何もできなかった。担任を責めるつもりはない。主犯格がおらず、ひとりひとりが強い悪意をもつわけでもなくただ周りに流されていじめに加担していた状況でどんな対応ができたのだろう。高校生ではない、小学校低学年の話である。被害者には気の毒だが、あれはどうしようもなかったのだ。

では前述のような Web アクセシビリティの問題はどうだろうか。一人一人に明確な悪意がなく、対処しようがない面は共通しているように思える。Web アクセシビリティの解消は難しい。HTML のマークアップのようなコード上の問題であればやりようはあるが、SNS の ALT 機能の誤用はどうか。企業や公人がログイン必須なプラットフォームでのみ情報発信しているケースはどうすればよいのか。

みんな悪意なんてないのだ。理解が足りない部分はあるかもしれないが、なにも分かっていないわけではないはずだ。ある程度は分かったうえで、でもどうしようもないのだろう。あの時の僕ら(担任を含む)と同じだ。

だからといってただ傍観していてよいのだろうか。当時の私は傍観していた。傍観も加害の一種だと言われれば返す言葉はないが、小学生にそれを求めないで欲しい。しかし今は大人だ。あの時と同じく傍観で良いのだろうか。ただ悪意のない中で被害者だけがいる問題は難しい。どうすればよいだろう。