荻原俊夫氏の講演「東急の車両設計に携わって」を聞いてきた

世田谷美術館で東急 暮らしと街の文化――100年の時を拓く(www.setagayaartmuseum.or.jp)の企画展が開催されていますが、その一環で昨日1月11日(土)に東急電鉄OBである荻原俊夫氏の講演「東急の車両設計に携わって」(www.setagayaartmuseum.or.jp)があったので聴講してきました。

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世田谷美術館の建物(講演会とは別の日に撮影)オリジナル画像
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「東急 暮らしと街の文化」の展示部屋(講演会とは別の日に撮影)オリジナル画像

講演タイトルからしてご自身が担当した車両の話が中心になるかと思いきや、東急電車の歴史をデハ1形から振り返る内容で、著書「東急電鉄 車輌と技術の系譜」(Amazon)をなぞるような性質のものでした。とはいえ直接関わった8000系5次車~2000系についてはその経験から興味深い話を聞くこともできました。

個人的に興味を惹かれたのは1000系の運転台に関する話で、曰く営団地下鉄(当時)の意向次第ではツーハンドルマスコンにすることも覚悟していたと。8500系の新製に際して半蔵門線乗り入れの関係からワンハンドルマスコンを営団に認めさせたことは有名な話ですが、それから10年以上が経ってなお、営団が半蔵門線以外でワンハンドルマスコンを導入していなかったとはいえ東急側がそのような心配をしなければならなかったとは……。

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1000系1次車の運転台(クハ1001、2008年2月撮影)オリジナル画像

ほかちょっとおもしろかった小ネタをひとつ。8000系から車体長が大型 20m になったことについて東急で初めてという言い方は(本当は)おかしい……と念押しをされたのでチキ3095 のことを意識されているのかと思いきや、第二次世界大戦後に東急小田原線と厚木線に投入されたデハ1800形、クハ1850形(運輸省モハ63形、クハ86形割り当て)が「東京急行電鉄初の 20m 車」であると。まあ確かにそれはそうですね(笑)。著書(Amazon)でも大東急時代の京浜線や小田原線投入車も律儀に東急電車の一員とされていたことを思い出た次第です。