『激動の昭和史 沖縄決戦』と『シン・ゴジラ』

映画『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)を視聴。いや、壮絶でした。

まず日本国民の一人として反省しなければならないのは、沖縄戦にあまりにも無関心かつ無知であったこと。戦争といえばどうしても広島と長崎、あるいは地理的に馴染みのある東京大空襲のことばかりで、沖縄戦のことは「住民をも巻き込んだ地上戦が繰り広げられた」程度の知識しか持ち合わせていませんでした。

本作の前半では連合国軍上陸前の出来事、すなわち現地軍(第32軍)に新しい司令官として牛島満中将が着任され、その後フィリピン・レイテ島での決戦をきっかけに第32軍から一個師団(第9師団)が抽出されたことで抜本的な作戦計画の変更を迫られたこと、そして大本営と第32軍との間で戦争目的や航空戦力に対する考え方に違いがあり、それが転じて第32軍の参謀内部でも意見の衝突が起こり、ひいては悲惨な結末の一因ともなったことが描かれています。私のように歴史の授業で習ったこと以上の知識も関心も持ってこなかった身からすれば「なぜ沖縄戦の結末に至ったか」の経緯がよく理解でき、同時に惨劇の理由を単なる兵力差の問題と思い込んでいた自分の浅学さを恥じた次第です。私は戦争に関する作品と言えば『はだしのゲン』の漫画およびアニメ映画(1983年ほか)を見て育った世代であり、本作は最近まで存在すら知らなかったのですが、小学生高学年~中学生の多感な時期に出会いたかったものです。

そして本作の登場人物でもっとも惹かれたのが八原博通大佐(高級参謀)です。周囲が根拠の薄い希望的観測や精神論で攻撃重視の作戦を口にする中、常に冷静沈着で的確な意見を述べる様は軍人としてのみならず人としての生き方からして敬服する次第です。

その八原氏自身が執筆し、映画公開の翌年に出版されたのが『沖縄決戦 - 高級参謀の手記』です。

映画は基本的に史実に則って作られているのですが、冒頭で史実をもとに作者の想像を加えて作ったものであり人物及びエピソードの一部は創作であると断られているとおり、細部には史実と異なるシーンもあります。八原大佐に関わる部分で大きく異なる点としては、首里の軍司令部を放棄して喜屋武半島の摩文仁へ移す撤退作戦(1945年5月末)が挙げられます。映画では八原大佐は徒歩で移動し、摩文仁の洞窟に到着したところで状況報告を受けてはじめて絶望的な表情を見せる印象的なシーンに繋がっているのですが、手記によると実際は牛島司令官らと共にいったん首里南部にある津嘉山の洞窟で2日間を過ごした後、軍首脳陣は自動車で移動したようです。もっとも敵の砲弾が頭上を舞う中で道中エンジンが故障し何度も足止めされるなど、首脳陣といえど命からがらの撤退劇であったことに変わりはないのですが。

さて、そもそもこの映画を見たのは庵野秀明が岡本喜八を敬愛しており、『トップをねらえ!』や『新世紀エヴァンゲリオン』などでたびたびオマージュしていたため、その原典たる本作品をいつか触れておかねばと思っていたためです。その方面からの感想としては『シン・ゴジラ』は思っていた以上に本作の影響を受けていると感じた次第です。楽観的な大臣に対して旧日本軍への批判を交えた自説を説く主人公・矢口蘭堂の姿は高級参謀としての八原大佐そのものですし、里見祐介総理代理の「避難とは住民に生活を根こそぎ捨てさせることだ」のセリフも疎開を強いられあるいは疎開できなかったために戦闘に巻き込まれた沖縄県民を意識したものではないかと思えるのです。前半の会議シーンをはじめとした切り替わりのテンポ感や、静止画として写真を挿入する演出(アメリカが熱核兵器使用の動きを見せた際に広島と長崎の写真を挿入したカット)にも類似性が見られます。

一方で『激動の昭和史 沖縄決戦』の後半では軍民問わず人が死んでゆく様がこれでもかと映し出されるのに対し、『シン・ゴジラ』では直接的な死体の描写は皆無です。とくに官邸機能を立川へ移管した後のヤシオリ作戦では、一見すると死者そのものが発生していないかのような錯覚にも陥ります。しかし作戦開始直前のセリフにより逃げ遅れた住民のいる可能性が示唆されていること、最初に血液凝固剤を注入した小隊が「全滅」したと報告されていることから犠牲者の存在は確実であり、これに対して死体を写すことなしに役者の表情演技でそれを伝えようとしていることがBlu-ray特別版に付属するスペシャル特典ディスク(www.shin-godzilla.jp)の「現場メイキング」で明らかになっています(庵野総監督がめずらしく声を荒げている)。

どうしようもない外的要因で人が死ぬことに対しても、直接的な描写を避けつつ死そのものの事実からは逃げない姿勢にも『激動の昭和史 沖縄決戦』と本質的な共通性を感じるのは大袈裟でしょうか。