劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉
公開初日の本日、朝イチの回で観てきました。
※本記事は作品のストーリー、とくにラストシーンの言及を含みます。
私は今回あえてイントロダクションの文章や特報、予告の映像類は見ず、もちろんリバイバル上映における冒頭5分の先行公開(www.madoka-magica.com)もスルー、公式サイトも上映館データなど最低限の情報以外はアクセスせず、さらに SNS でフォローしているまどかクラスタの知人達も先行公開の8月14日以降は全員ミュートして、すなわち一切の事前情報をシャットアウトした状態で公開に臨んだ次第です。とはいえキービジュアル(www.madoka-magica.com)は嫌でも目に入ってしまうので、
- 魔法少女服のデザインがこれまでと少し異なる
- さやかの顔に包帯が巻かれている
- 新しいキャラクターが複数人いる
といったことだけは把握していましたけど、逆に言うとこの数年で仕入れた情報はその程度です。
2013年10月公開の『[新編]叛逆の物語』から13年弱、これはヱヴァンゲリヲン新劇場版の『Q』と『シン』の間隔よりも長いわけで、ここまで待たされたからには本作に望むことは「きちんと完結するのか」、すなわち制作スタッフは『まどか』を終わらせる覚悟があるのかの1点に限ります。
TVシリーズであれだけ綺麗な終わり方をした作品に対して、強引にでも『[新編]叛逆の物語』という続編を作り、そこでも完結をせずに外伝作品で時間を稼ぎ(※個人の感想です)、13年もの時間を掛けてのようやくの正統続編の公開となれば、もはやストーリーがどうのキャラクターがどうのといった点は些末な事象に過ぎませんし、そもそも制作会社や主要スタッフは前作から続投なのでその点の心配はまったくしていませんでした。
そして観終わった感想は……。
ああ、これ完結していないかも!! 続きを作ろうと思えば作れる終わり方じゃないですか。エンディング後のパートも蛇足でしたし。完結を望んだのは私個人の願望に過ぎず、作品そのものは「完結編」を謳っていたわけではないので、これは決して批判でなくあくまで個人の感想に過ぎないのですけれど、やはり残念なものは残念。もはや続編が不可能な終わらせ方にして欲しかった。
私の言いたいことはこれだけです。なので以下は蛇足です。
構成とでも言うのでしょうか、観客へのアプローチの仕方は前作とは明らかに異なりますね。本作はこれまでのTVシリーズや劇場版3作と比べて難解であり、「昔『まどか』を見たことがあるのでちょっと気になり映画館に足を運んだ」程度の人は理解が難しいと思います。『[新編]叛逆の物語』はとくに前半であからさまに媚びたサービスシーンがてんこ盛りで、映画として大衆に向けた作りだったのに対して、本作は「13年待ち続けた猛者」に向けた作り方に感じました。もし本作を観に行くか迷っている人がいるならば、TVシリーズと『新編』の復習はもちろん、魔獣編
を読んでから望むことを勧めます。
ストーリー、これは大筋で想像の範囲内でした。まどかが神になって、ほむらが悪魔になって神の記憶を忘れさせて……、その続きを描くならば神の復活しかありえないことは誰の目にも明らかでしょう。TVシリーズの8話ラストで受けたような衝撃に期待していた面もあったのですが、そういうのはとくになかったです。
音楽(BGM)の効果は目を見張る、いや耳を聞き張るものがありました。引き続き梶浦由記が担当されているのですが、冒頭は今までと少し印象が異なります。梶浦由記ではあるけれど『まどか』っぽさが薄いというか。それが尺にして全体の1/4から1/3あたりでしょうか、それまで「悪魔であるほむらが作り上げた世界」だったのが前作までの世界線の話が出たシーンでお馴染みの『まどか』をアレンジした音楽に変わります。実際に映像として世界が変わるわけではないところ、音の表現で「その単語を口に出してしまったらもう後戻りできない(いや戻ってしまう)」ことを表しているのです。これは前作までの『まどか』にはなかったことで新鮮な感じを受けました。
新しい魔法少女は……ちょっと多すぎますね。本作では特殊な立ち位置になる鹿目まどかを魔法少女に含めるべきかどうかなど、その人数は前提条件によるので何人とは断言しにくいのですが、いずれにせよ10人近くになるとストーリーの進行がキャラクターに支配されるようになってしまいます。語彙力がないのでうまく伝えられないのですが、ストーリーのためにキャラクターを動かすのではなく、キャラクターの動きをストーリーが追いかけるというか。いやこれでもたぶん伝わらないな。ごめんなさい適切な表現が思い浮かばず。ともかく映画を見ていて進行に違和感と倦怠感が先立ってしまうのです。これは本作に限らず、たとえば『魔法少女リリカルなのは』でもシリーズを追うごとに(キャラクターが増えるごとに)そういう感じが強まっています。いわゆるスーパー戦隊シリーズでは主人公側が5~6人なのが定石ですが、同様に魔法少女モノもそのくらいの人数を超えると無理が生じるのではないでしょうか。
キャラクターといえばほむらはこれまでとキャラ変わっていますよね。従来、さやかは外部要因(恭介と仁美)により心が惑わされる一方で、まどか、ほむら、杏子は芯をしっかり持ち、とくにまどかとほむらはそれが強すぎるあまりに世界を改変すらしてしまうほどだったのに対して、本作のほむらはコロコロ揺れ動きすぎでは。「まどかを返す」といった舌の根も乾かないうちに、ちょっとさやかに言われた程度でまた考えを180度変えたあの有様は私の目には「キャラ崩壊」に見えました。
そして最後に『コンセプトムービー』との関連。本記事の冒頭で私個人の映画視聴体験として事前情報を仕入れずに望んだと言いましたが、それはあくまでこの数年の話であり、2015年に「MADOGATARI展」の会場で公開された『コンセプトムービー』は別です。これも直前の復習こそあえてしなかったものの、11年前(!)に展示会場を何十回と周回したあの時の記憶はそうそう薄れるものではありません。あの映像、思ったよりはちゃんとコンセプトなムービーだったんですね(笑)。逆に2015年の時点であそこまで設定ができていながら、なぜそれから11年も経ったのか。そして当時書いた『まどか☆マギカ』コンセプトムービーの注目点の記事を今読み返すと、自分の書いたものながら答え合わせができておもしろかったです。「チューブガール」が結局なんだったのかは分からず仕舞いでしたが。
