COMIC ATLAS に久米田先生がゲスト出演

FMヨコハマのポッドキャスト番組 COMIC ATLAS(コミックアトラス)(www.fmyokohama.jp) に久米田先生がゲスト出演されました。導入編(YouTube) 配信の後、本日12月12日の配信で前編が配信され、後日(14日?)に後編が配信される予定です。

久米田先生のラジオ形式の媒体への出演は2003年の『島本和彦のマンガチックにいこう!』(電話出演)、2008年の『青春點點點』と『星夜麒航』(台湾のラジオ番組)、2011年の『さよなら絶望放送』第200回&203回(事前録音の短いメッセージ)に続くものです。

【ゲスト:久米田康治先生】前編「自分の人生でずっと主役じゃなかった感じはあります」(YouTube)

パーソナリティーのノルオブとはおそらく初対面ということもあり、トークは終始質問形式で進められ、雑誌のインタビューを見ているような感覚でした。トークの内容自体も既存のインタビューと共通するものが多いため、過去の掲載誌を片手に番組を聴くと相互補完のような形で楽しむことができます。

ということで以下、注目すべき発言ごとにこれまでのインタビューでの紹介例との比較や補足をしてみます。

いちばん最初に打ち切りになったのが壁新聞の4コマ漫画だったんですよ。小学校の。

小学校の壁新聞については月刊ぱふ 2006年9月号「特集 久米田康治 さよなら絶望先生」(Amazon) のインタビューで存在が明かされ、『かくしごと』6巻(Amazon) の「描く仕事のほんとうのところを書く仕事(25)」に詳細が書かれています。過去のトークショーではネタにした友達の実名が明かされたこともありましたが……これは書かないでおきましょう。

惰性で少年野球とかはやってましたけど。

少年時代には他にボーイスカウトをされていたことが週刊少年サンデー 1992年30号「ガチャガチャカンパニー」のコメントで語られています。

(中学校の部活は)テニス部でしたね。

「かってに研究しやがれBOOK」や Febri Vol.29「Febri CREATOR RECOMMEND 漫画家・久米田康治」(Amazon) のインタビューなど、さまざまな媒体で話されている周知のことですね。Febri のインタビューはマンガ好きのためのマンガ家インタビュー集(Amazon) に再録されています。

『行け!!南国アイスホッケー部』233話「テニスでGO」(22巻(Amazon) に収録)ではテニス部に入った(不純な)動機が作中で描かれ、また『南国』より前にテニス漫画『地上げにスマッシュ』を描かれていたこともありました。

(小中学生の時は漫画とかアニメとかにはあまり触れていなかったんですか?)

でも読むのは好きでしたよ、ちょうど『うる星やつら』とか『タッチ』とかあったんで。

ここでは(空気を読んで?)週刊少年サンデーの漫画作品を挙げていますが、同時期のアニメとしては『銀河鉄道999』を観ていたこと、逆に意外にも『機動戦士ガンダム』はのめり込むこともなかったことが、やはり Febri のインタビューで語られています。一方でコミック・ファン 2000年8号のインタビューでは『ファースト』と『ターンエー』には強いと自称しており、実際『改蔵』ではガンダムネタも多く見られました。

(子供の頃に将来)なりたいものとして漫画家というのも1回あったんですけど、プロゴルファーだったりとか……毎年違うというか。

プロゴルファーに興味があったとは初耳です。ひょっとして後藤可久士の『風のタイツ』はそこから来ているのでしょうか。

ちなみにプレイでなく観戦に限れば他にサッカーの趣味があることがこのマンガがすごい! SIDE-B(Amazon) で語られています。『改蔵』の連載初期はサッカーネタも何度かありましたね。

(大学のサークル活動は)漫研とムエタイのところが一緒になっているようなところで……同好会だから分けて使えみたいな感じだったんじゃないですか。

大学で漫画研究会に入っていた話は多くのインタビューで話されていますが、ムエタイ(キックボクシング)のことは Febri や「悔画展」の他、少年サンデー '90セレクション 前期(Amazon) の作家同窓会(座談会)の中でキックボクシングのB級ライセンスを取得している話題が挙がっています。2020年の画業30周年記念トークショー(l-tike.com) の中でも藤田先生からその話があったのは記憶に新しいところですね。

下積みをしないでいきなり連載になってしまったので、逆にそのあと、ものを知らないから苦労しましたけどね。

これはデビュー前後に満田拓也先生のところに2日間だけアシスタントに行った話かな……。「かってに研究しやがれBOOK」、Febri Vol.29、「悔画展」のインタビューで言及があります。

大学5年行ってるんですけど、5年になって「就職しなきゃ」ってなるじゃないですか、そのときに漫画編集のプロダクション受けてて、そこで落ちちゃったんですよ。

漫画家になる前に就職活動で漫画編集者を受けた話は多くのインタビューで定番ですし、トークショーではそこで赤松先生の名前を出して観客の笑いを誘うのもいつものことですが、本件に関しては『さよなら絶望先生』二三集(Amazon) の「紙ブログ」も見逃せないところです。

その前にもともと美術の先生になろうと思っていて、教職を取って、教育実習とかも行っているんですけど、神奈川県で美術教師の新しい採用が一人しか居なくて……

美術教師の採用人数の話は前述の『さよなら絶望先生』二三集のほか、月刊 創 2006年6月号「【異色対談】荒川弘×久米田康治」(Amazon) でも語られています。

自虐っていうのは結局自己肯定ですから。本当に嫌なことは言わないじゃないですか、自分のネガティブなことは。「俺ブサイクだから」というのはそれを受け入れているから言えるわけで。

自己肯定という単語自体は『劇場編集版かくしごと』Blu-ray 発売記念の特別インタビュー映像(kakushigoto-anime.com) の中で出たことがあり、その時は自らを自己否定で描くタイプと評していましたが、それとは真逆の「自虐は自己肯定」、これは名言ですね!