書評『電鉄日記 私鉄鉄道員が見た終戦直後の電鉄物語』
これを知ったきっかけは Bluesky でフォロイーさんがつぶやいていたのだったか、それともフィード検索に引っ掛かったのか失念してしまったのですが、表題の本を読了しました。
著者の脇田繁明氏は終戦直後に東京急行電鉄へ入社し、その新宿管理部で当初は小田原線、江ノ島線の運転士、のちに経堂工場で車両修繕に携わった方で、当時の体験談が赤裸々に語られています。あくまで一社員の日記に過ぎないため、ご本人の身の回りの出来事しか書かれておらず、車両に関していえば経堂工場で担当されていた旅客電車のことが中心で、秦野分工場が担当していたという貨車への言及は皆無です。また上馬に住まわれており、経堂までは玉川線と下高井戸線を乗り継いでいたとのことですが、通勤途上の出来事もほとんど書かれていません。
一方で乗務と検車での体験記に関しては具体的な車両番号まで記録されています。私は小田急のことは門外漢なため、記述された内容がどの程度の価値を持つものかは判断しかねるのですが、1800形(運輸省63形)の入線やHL車のHB化改造はもちろんのこととして、経堂工場の大規模な復興対策(現場では発案者の名前から「石井プラン」と呼称)、東急興業横浜製作所(後の東急車輛製造)への外注戦略といった話は他の小田急関連の本でもなかなか語られていないことなのではないでしょうか。
事故に関しても足柄駅近くの踏切でのバス衝突(1947年2月8日、バスは河川に転落した)、梅ケ丘近くでの1200形デッドアース(同年2月19日)、投入直後の1800形無人逆走(同年8月14日)といった現代では考えられない出来事の顛末が克明に書かれています。
個人的にもっともおもしろく読めたエピソードは、急遽見習い運転士の指導を行うことになった日の出来事(1946年12月1日)。小田原線では手動進段のHL車が大半を占めていた時代、その見習いにハンドルを持たせたところ、ノッチの進め方が早すぎてオーバーフローを何度もやらかし、制動の際もセルフラップでない旧式の操作方法における適切な緩め操作ができず、自動空気ブレーキの応答性の悪さも手伝ってオーバーランは当たり前。終点の小田原到着が(運転士の個人的な要因のみで)17分延という……。見習いの運転適性のなさはともかく、その場での指導内容を事細かく記録に残されており、当時の運転方法、とくに勾配と曲線が続く渋沢―新松田間についてはまるで情景が思い浮かぶほど克明なものとなっています。思わず YouTube に上がっている現代の展望動画を再生しながら読み進めた次第です。
決して鉄道ファン向けの本というわけではないため、職場における人間関係のことなど直接鉄道に関係のない記述も多く混ざっており、また資料面に関してもあくまで日記であることと、都合上日時、場所、状況等を多少変更或いは潤色しています
とのことなので、ノンフィクションとはいえその正確性は別途検証する必要があるかもしれません。しかしながら小田急にはほとんど縁がない私であっても興味深く読めたことは事実です。Amazon のレビューも1件しか付いていないし、あまり知られていない本なのかもしれませんが(私もぜんぜん知らなかったし)、古い時代の鉄道事情に興味がある方ならぜひ読んでみる事をおすすめします。