東急デハ3100形、サハ3100形の台車は本当にブリル型か

とれいん 2010年1月号(No.421)(Amazon)、読みました。

空気指令式な7600系歌舞伎車のイラストを見たときは思わずページを閉じそうになりましたが、「吊り掛け時代の東急台車カタログ」は壮観ですね。鉄道ピクトリアルの「台車のすべて」などでお馴染みの吉雄永春氏の写真をふんだんに使い、3000系に使われた台車の多くを網羅しています。これについて、いくつか。

「ブリル27-MCB」タイプ(デハ3100形、サハ3100形)

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一番手は3100形の台車で、形式はブリルMCB27Eとなっています。ここで「ブリル」は言うまでもなくアメリカのBrill社、「MCB」はMCB(Master Car Builders)規格台車、「27E」が台車形式の数字と枝番と思われます。ところがこの台車、いくつか謎な点があるのです。

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加悦SL広場に保存されているサハ3104オリジナル画像
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サハ3104の加悦方台車オリジナル画像

なぜ「MCB」が数字より前なのか

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MCB規格台車を「MCB27」のように数字を後に書いた例はあまり見かけません。国内の(東急関連以外の)文献を見ても「27MCB」や「27-MCB」といった表記が多いように思いますし、HISTORY OF THE J. G. BRILL COMPANY(Amazon)でも次のように書かれています。

Although the Brill Company was firmly opposed to the use of MCB trucks, they became increasingly popular for electric railway interurban service in the first decade of the twentieth century, forcing Brill to introduce an MCB truck of its own, which it did in 1909. It was called a 27-MCB (fig. 13).

「HISTORY OF THE J. G. BRILL COMPANY」の「APPENDIX B: TRUCKS & SPECIALTIES」(228ページ)

実は、この変な(?)表記は今に始まったことではなく、昔から東急関連の各文献で見られるのです。

大正の末期から東横・目蒲電鉄用として藤永田造船所で製作,モーターは65HPで台車はブリルMCB27-E形.

大東急時代の車両たち(鉄道ピクトリアルNo.442・1985年1月臨時増刊号)

車体はトラス棒付きで半鋼製となり,貫通扉付き,定員110人,運転台はHポール式,台車は汽車製造のブリルMCB27E形,

私鉄車両めぐり〔127〕東京急行電鉄(鉄道ピクトリアルNo.442・1985年1月臨時増刊号)

運転室はHポール式で定員110人,主電動機は2種類あったが75HPに統一し,台車は汽車製造製ブリルMCB27形を使用した。

私鉄の車両4 東京急行電鉄

なぜこういった表記になっているのか調べてみたところ、どうも車両竣功図表が原因のような気がしてきました。(あくまで「気がする」だけですが…。)

たとえば東急電車形式集.1(Amazon)には、デハ3400形までの電車や貨車の車両竣功図表が豊富に掲載されています。3100形関連では、前身のモハ100形が1枚、デハ3100形が3枚、サハ3100形が1枚と、計5種類の図表がありますが、初期のものは台車形式が書かれており、ブリルM.B.C27E型となっています。

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「東急電車形式集.1」の28ページより必要な範囲のみ引用オリジナル画像
  • M.B.Cとなっているのは誤植でしょう。

数字が後になっているのは、これも竣功時の誤植が後年まで残ってしまったのか、それとも電鉄内では「MCB27E」と呼ばれていたのかは分かりませんが、いずれにしてもこれらの資料を基に、明らかな誤植である「M.B.C」の部分だけを訂正した「MCB27E」という表記が後の文献に蔓延してしまったと推測します。

そもそも本当にブリルタイプなのか

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今回の「とれいん」誌も含め、各文献の記述によると、この台車は「汽車会社で製造されたブリル型」ということになります。これ、本当でしょうか。

形態的には、ブレーキの両抱化改造などでオリジナルの形態でないことを差し引いてもボールドウィン型に近い気がします。たとえば、鉄道ジャーナルで連載されていた「台車とわたし」(高田隆雄氏)には次のような記述があります。

なお前月号図4のような,断面矩形の鈑造品と,鋼板の組合せによる台車枠に,弓形の釣合ばりを取りつけて郊外電車用にしたもの(図10)も見受けるが,これはむしろ例外的であまり普及しなかった.

台車とわたし2 大正時代の客・電車用台車(鉄道ジャーナルNo.95・1975年2月号)
  • 「図10」の写真解説は東急3600形電車となっているのですが、形態的にどう見ても3100形のものです。おそらく誤植でしょう。

2010年7月29日追記再録版となる鉄道ジャーナルNo.369・1997年7月号の記事では東急3100形電車に修正されていました。

これは「ボールドウィン台車」の部分の解説文なので、少なくとも高田氏的には「東急3100形の台車はボールドウィン型」という認識なのだと思います。

また、同じく「台車とわたし2」にはこんな記述も。

ブリルのMCB台車はこのように多数わが国に輸入され,またその性能もひじょうにすぐれていたが,これの国産化されたものはほとんどない.機構的には特許にしばられていたということもあろうが,いっぽう前記のように型鈑造による台車枠の製作が,日本では至難であったことが最大の原因と思われる.この点,国産のボールドウィン台車が広く普及したのと,まったく対照的である.ただし,部分的の機構で国産の台車に取り入れられたものは,いろいろとある.

図9のような,平鋼を菱枠に組み立てた台車枠を持つボールドウィン形台車は,大正年代にはオリジナルの製品,すなわちボールドウィンの工場で作ったものが,そうとう数多く日本に輸入された.しかし昭和に入ってからは国内の多くの車両会社で製作されて,国産のボールドウィン形が大いに普及した.そして,これが戦後に溶接台車の出現するまでつづいた.

ところが,いっぽうの様式であるブリル形台車は前記のように,郊外向きの,いわゆる高速用としての国産品はほとんど見られない.ただし,路面電車用には国産品がかなりある.

というわけで、この形態で汽車会社製のブリルタイプというのはちょっと考えにくい気がします。


東武デハ1形のブリル27-MCB台車を見るにつづきます。