加悦サハ3100形の藤永田造船所製台車を見る
東急デハ3100形、サハ3100形の台車は本当にブリル型か、東武デハ1形のブリル27-MCB台車を見るの続きです。
東急3100形は廃車後、7両が各地へ譲渡されましたが、加悦鉄道に行ったサハ3104のみ解体を免れ、車体は大改装されながらも床下にはほとんど手を付けられないまま現在でも加悦SL広場(www.kyt-net.ne.jp
)で店舗として利用されています。今回はこの車両の台車を見てみます。
- なお、近江鉄道へ行ったサハ3101も車籍上はサハ101、モハ203を経てモハ222として現役だそうですが、床下も車体も更新されているようなので、今回は触れません。
2018年9月14日追記加悦SL広場公式サイト(www.kyt-net.jp
)の新着情報によると、車体を利用して営業していた「カフェトレイン蒸気屋」は2018年9月25日(火)をもって閉店してしまうそうです。車両そのものの処遇については触れられていません。
ただ、その前に製造時からの動きをおさらいしてみたいと思います。
目黒蒲田電鉄・東京横浜電鉄100形(東京急行電鉄3100形)の経歴
- 改造工事については、台車に関わるもののみ記載しています。
- 1925(大正14)年12月
- 東京横浜電鉄でデハ100形の101〜105が竣功するが、同時に目黒蒲田電鉄へ譲渡される。車体は藤永田造船所製で、主電動機は東洋電機製造の65馬力タイプ。
- 1926(大正15)年4月
- 目黒蒲田電鉄にて106〜112が竣功。当初は全車105号までと同性能で計画されたが、メーカーの都合で直前に変更となり、107〜112は主電動機が75馬力のものになった。
- 1927(昭和2)年8月
- 107〜112を東京横浜電鉄へ譲渡。
- 1928(昭和3)年10月
- 101〜106を東京横浜電鉄へ譲渡。
- 1929(昭和4)年
- ブレーキの両抱化など、台車関連に大規模な改造工事を実施。また、101〜106も75馬力の電動機に交換された。(工事竣功時期からすると、少なくとも104〜106は両工事が別々に行われた可能性が高い。)
- 1942(昭和17)年
- (新)東京横浜電鉄の東京急行電鉄への商号変更に伴い、デハ3100形の3101〜3112へ改番。
- 1957(昭和32)年
- 池上線の1500V昇圧に伴い、翌年にかけて3101〜3109を付随車化、サハ3100形に。
- 1958(昭和33)年
- 付随車化工事を受けなかった3110〜3112を上田丸子電鉄へ譲渡。
- 1970(昭和45)年
- 東急に残った車両もこの年までに全車譲渡または解体される。
加悦鉄道サハ3104の台車を見る
釣合梁と釣合ばね
釣合梁はU字型をしています。釣合ばねは大形のものが左右1台ずつありますが、3重巻きになっており、内側にも逆巻きのばねが設置されています。
ただし、登場当初は2重巻きだったようで、1929(昭和4)年5月7日付けでこんな申請がなされています。
主要部分のみ現代仮名遣いに直してみます。
モハ第100号形式電動客車5両の台車釣合梁ばね2個一組のものをなお内側に1個増設し3個一組のものに改造したく…
なお、ここで言う「五輛」とは、続く「設計變更ノ理由」にてモハ第一〇一號ヨリ第一〇五號又テノ電動客車
とあるように、1925(大正14)年製の101〜105のことを指しています。翌年増備の106〜112については、登場時から3重巻きだったのか、あるいは改造申請の文書が残されていないだけなのかは分かりません。
- 矢口さん(
www.toqfan.com
)、情報提供ありがとうございます。
側梁
ブリルMCB台車に見られる上部中央部分の膨らみがありません。ボルト(この台車ではリベット)の留め方も異なります。
ガゼットプレート
ブリルMCB台車と同じようなL字プレートが設けられており、4個のボルトで留められています。
枕ばね両脇の補強材(?)
枕ばねの両脇には台形をした板材が設置されています。位置的にはボールドウィンA形などに存在するアーチバー(Arch Bar、横梁両脇の斜めの部材。Side Frame Trussとも言う。)にあたりますが、板の向きが90度異なります。
2010年8月30日追記当初、「構造上も別の役割を果たしているものと思われます」と書いていたのですが、この記述は撤回させてください。
また、過去の写真を見る限り、オリジナルではなく後から追設されたものかもしれません。
軸箱守
軸箱守は菱形の鋼板となっています。これはブリルMCB台車にはない特徴であり、私が「ブリル型ではないのでは」と考えている最大の理由でもあります。
上や横から見ると分かりますが、この鋼板は側梁を挟む形で2枚あり、リベットで留められています。また、上昇留め(Pedestal Cap)などは六角ボルト留めとなっています。
軸距
実測で84インチ(約2134mm)、車輛竣功図表どおりです。
制動装置
前述のとおり、1929(昭和4)年にブレーキの両抱化改造が行われています。こちらは112号車までの全車両が対象でした。
軸箱守を貫通した側梁は排障器(現在は撤去)を支える形で延びていますが、改造後はその部分から上方に向かってブレーキハンガーなどを支える板が掛けられています。
加悦鉄道サハ3104の台車メーカーを調べる
メーカー名や製造年月が分からないものかと台車をくまなく見てみましたが、刻印や銘板といったものは見つかりませんでした。ところが、加悦駅舎の2階にある展示室(www.kyt-net.ne.jp
)に、SLのナンバープレートや各車両の銘板などが展示されたボードが。
そして、もっとも右下には藤永田造船所の銘板が!
右書きで「大阪 藤永田造船所 車輛部製造」と書かれています。製造は大正15年4月とのことで、106〜112の製造時期と一致します。
これについて加悦鐵道保存会(ka8tetsu.hp.infoseek.co.jp
)に問い合わせたところ、篠崎隆氏より回答をいただきました(ありがとうございます)。以下、質問と回答内容の要約です。
- これはサハ3104のものか
- (記憶がかなり薄れているが)サハ3104の台車の銘板である。
- 車体銘板か、それとも台車など部品の銘板か
- すでに休憩車になっていたので、車体の銘板ではないと思われる。
- 台車銘板なら合計2枚あったのでは
- もしそうなら取り外した際に保管してあるはずなので、1枚しか付いていなかったか、(こちらの作業以前に)何物かに取り外されたのではないか。
というわけで、サハ3104の台車のうち少なくとも片方は、藤永田造船所が1926(大正15)年に製作した個体である可能性が高いと言えます。
車両の製造時期との矛盾について
先ほど台車の製造時期が106〜112の製造時期と一致
と書きましたが、サハ3104の前歴は1925(大正14)年製のデハ104です。しかもこの車両の台車は、製造時の文書によれば汽車会社製となっています。また、吉雄永春氏の記事にこんな記述があります。
- 引用中の
101〜106
は「101〜105」、107〜112
は「106〜112」の誤植と思われます。
一方、同じく吉雄氏の「台車のすべて」にはこんな記述も。
3111、つまり藤永田製台車を履いていたはずの旧111が汽車会社製の台車を履いていた事実があるということは、逆に藤永田製台車に履き替えた初期車が存在してもおかしくないはずで、それがサハ3104だったのかもしれません。
結論その1「3100形台車は汽車会社製だけではない」
吉雄氏の記事や篠崎氏の証言より、東急3100形のうち1926(大正15)年に増備された車両の台車は藤永田造船所製であることが判明しました。
長くなってしまったので、ブリル型かボールドウィン型かの結論は次回に持ち越したいと思います。ボールドウィンL,R形、日車M12形台車についてへつづく。